top of page
検索
  • 執筆者の写真中山 孝一

牧志界隈を歩く その十六


 2020年6月30日午後4時55分から<牧志>の国際通りを歩いてみた。安里のサイオン橋から一銀通りまでのわずかな距離だ、が、その景色はこれまで見たことがない国際通りだった。車が少なく、人もまばら、店舗はシャッターが下ろされ、ところどころに貸店舗の張り紙が張られ、店が変わるのか内装工事をしているところも、この間で約4割は営業再開には至っていない

 数ヶ月前までの国際通りは、僕ら地元民でも通れないほどの活況だった。本土から、東南アジアから、アメリカや欧州からの人たちで賑わい、新しいホテルの林立でまさに国際都市の様相だった。今は、戦後、奇跡的に復興した国際通りは、不滅だと信じるしかない。今回もたくましく乗り越えるものと確信する。

 さて、この国際通りも「奇跡の1マイル」として呼ばれるまでの軌跡は、相当な困難を強いられた。その模様は「沖縄・国際通り物語」(大濱 聡著)に詳しく書かれている。1957年12月に「那覇市の国際通り」が一本になるまでの最大の問題は道幅だったらしい、当初の計画では現状より数メートル広く、実現していればモノレールが通るか、トラムかが走り、文字通りおしゃれな「国際通り」になっていたと思われるが、当時の通りの住民らの広すぎるとの反対であえなく・・・その後かくも人が増え、車が増えるとは想像だにしなかったであろう。


 映画館から発展した国際通りも当初はでかい商店街だった。本屋、工具店、写真屋、電気店、帽子屋、そば屋、と身近な生活用品はなんでもあった。さらに、デパートが3軒(大越と山形屋とリウボウ)もあった。当時は地方からも多くの人が国際通りに流れた。消費人口が集中していた。今の世とは違い、商店街と大型店舗が共存していたのはいうまでもない。

 とにかく楽しい空間だった。とくに電気店のショーウインドウの前の人だかりはおそらく全国共通の光景だろう。(電気屋のテレビで大人も子供もプロレス中継に釘付けだった。)映画館はどこも満杯だった。そこだけで許された、ペプシコーラとポップコーンの味は今でも脳裏に残る。


 映画館から発展したといったが、その映画館は「アーニー・パイル国際劇場」という。現在「テンブス館」になっている場所、この映画館を作った人が、高良 一(たからはじめ)という。この人、そして、この劇場がなければ国際通りはなく、この街の発展もなかっただろうと断言する人は多い。戦争で打ちひしがれたウチナーンチュに勇気と希望を与えるために、何にもなかった沼地に劇場を作ろうと思い、統治していた米軍との交渉を粘りつよく行い、幾多の困難を乗り越え、その夢を実現させた。周りからはあまりの大口に「ホラ吹きピン」「ラッパ吹き」と揶揄された人だが、反面その奇抜なアイデアには誰も対抗できなかった。ということを父親から聞いた。


 「沖縄・国際通り物語」の最後にこうある。「国際通りの目抜き通りに個人の銅像はふさわしいと言えないが、せめて、国際ショッピングセンター(現テンブス館)前に

 《国際通りのルーツ、「アーニー・パイル国際劇場」ここにありき》というような記念碑を建てて、国際通りの由来になったアーニー・パイル国際劇場を後世に伝えていくべきである。」と、同感です。今、多くの人が何気に歩いている国際通りも、その歴史を知ると多くの人が同感すると思います。この難局を乗り越え、国際通りがいち早く元気な姿をを取り戻し、後々まで発展するためにも、この「奇跡の1マイル・国際通り」を大いに伝えていきましょう。


閲覧数:59回0件のコメント

最新記事

すべて表示

昼呑みのすゝめ ①

昔の話、出先の食堂で見た光景。ニッカポッカを着た中年の大男と小さい若い青年が入ってきた。店員に「あれ!」と言っただけで出てきたのは並々と注がれたコップ酒、それを二人とも一気に飲み干したあと食事をした。実に鮮やかな呑みっぷりでかっこよかった。 高所の作業の緊張を和らげるために飲んだのだろうか、酒の効用というものか・・・世間一般でいわれる、真っ昼間から酒飲んでこいつらは、という蔑みが消えて憧れを感じた

小桜十夜 <ジュークボックス>

今の世はいろんな分野で最新のテクノロジーを競い合っているが、昔のアナログ時代でも驚くべきテクノロジーがあった。それは、ジュークボックスという自動音楽再生装置。今は携帯電話からタダで音楽が流れてくるが、その前はCDやMDという媒体を使い、もっと前はレコードやカセットテープなどで音楽を聞いていた。そのレコードが何十枚と入ったボックスにコインを入れ選曲すると機械が自動的にレコードを選び曲が流れる。そんな

Aボール物語 ③

酒飲みは一杯のグラスに思いを詰め込むロマンチストばかり、何処どこの店での一杯に思いをはせる。かくいう僕もこれまで、赤坂見附のバー木家下の開高マテイーニ、新宿伊勢丹サロン・ド・シマジのマッカラン、銀座7丁目ライオンのサッポロ生、老舗居酒屋では大阪の明治屋、名古屋の大甚、京都の赤垣屋の銘柄不明の銅の燗付器から注ぐ燗酒、バーザンボアのハイボールは大阪、神戸、銀座、京都の各店はさすがに変わらぬ味。古くはラ

bottom of page