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  • 執筆者の写真中山 孝一

ガンの告知

 明日70回目の正月を迎える。これまでの69回とは少々趣が違う正月になる。今までの当たり前と思っていた正月とは大きく違う元日の日の出を見ることができるはずである。

 今年の8月4日に食道がんの告知を受けた。ひと昔前であれば死刑宣告、しかし今や死語になりつつぐらいに医師もあっさりという、以前より癌は怖くない、治る病気と言われるが病気の死亡率ではいまだに一位である。怖くないはずはない


 これまでの生活習慣を顧みればいつか何かが起こるだろうとは覚悟していたが、いざ来てみれば思ったより狼狽える自分がいた。こうなるだろうと思ったことと現実にそうなったことの違いは相当なもので、これまで多くの勘違いの中で生きてきたことを知らされた。この渦中で思い出されたのが、養老孟司の「バカの壁」の一節だった。勉強することの意味を知ろうとしない学生に向かって養老孟司は次のようなことを考えた。

「知るということは根本的にガンの告知だ」と、そして学生たちに「君たちだってガンになることがある。ガンになって治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話した。この一言が学生たちを大きく揺さぶったという


 物事を知ろうとしないのは既に自分は知っているから大丈夫という過信から生まれる。自分自身が変わらなければいつまで経っても本質を知ることができない、これが「バカの壁」を乗り越えることができない、ということ。つまり、僕もその壁を乗り越えることができないまま70年間バカをやり続けたことに気づいた。この10年間の日誌を見てみると禁酒とダイエットのキーワードがやたら目に付く、「明日から節酒だ、いや禁酒だ」とか「いつまでに何キロ痩せる、その為にこれとこれをやり抜こう」などの虚しい決意がずっと続くが、いつまでも現状維持も続く、食道ガン、その原因は明らかに飲み過ぎに肥満というライフスタイルの乱れによる。


 さて、8月からの食道ガン騒ぎも、11月28日の手術で一応の終了をむかえた。極めて稀な16時間という長きの大手術だと後で知らされた。が、その後ガンのとり残しが見つかり更に3時間の再手術も行なった。ICUでの1週間は幻覚と幻聴に悩まされ不眠が続き、飲まず食わずで2週間と、生きた心地がしないというのはこのことか、術後2週間でついに医師に告げた。「どうせ死ぬなら家のベッドで死にたいので帰る」と、ジョークとも本気とも取れる口調で言ったものだから医師も観念して体にまとったものを一つ一つ外していった。晴れて自由の身になった。


 手術から今日31日で一ヶ月と3日がたった。いまだに生きている。おそらく明日から始まる2023年も生きているだろう。69歳から70歳になる節目にこのような体験をしたことは大きなチャンスと捉えている。大きな変革ができたのとこれまでの景色が一変したことは「大バカの壁」を一つ乗り越えたような気がする。来年の桜が待ち遠しい


 


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