top of page
検索
  • 執筆者の写真中山 孝一

Aボール物語 ②

 戦後の泡盛が何故くさくて不味かったのかについては、冷蔵施設が十分ではない頃の原料米の保存法に一因があるとの話を醸界飲料新聞の仲村さんより聞いたことがある。であるならば長期熟成して古酒にすれば旨くなるはずだということになる。が、そんな悠長なことは言ってられない、戦後の沖縄では泡盛を作るのが精一杯で旨い酒をつくるという余裕などない、まして酒に飢えた人々に、しばらく待てば旨くなりますよ、なんてことを言えるはずがない。だから、泡盛をコカコーラで割るなどして一時期をしのぎ、旨い泡盛ができるのを待つしかなかったのだ。


 この頃、沖縄だけではなく本土でも酒事情は似たようなもので、物資不足で旨い日本酒や焼酎ができず呑兵衛たちは苛立っていた。しかし、ここでも酒に貪欲な呑兵衛たちの知恵が働いた。東京の下町では高いウイスキーの代わりに出来の悪い焼酎を炭酸で割り、柑橘系で味付けした下町ハイボールなどいうものが飲まれたという。その後、長い年月をへて焼酎ハイボールといわれ、いつしかチュウハイとなり、気がつくと日本を代表するカクテルに成長していた。

 戦後、世の中が落ち着くとともに日本の酒業界も旨い酒が出回るようになった。他のものを混ぜて誤魔化さなくても酒自体が旨くなった。しかし、はじまりは庶民の知恵からだったということを忘れてはいけない、日本の酒文化は庶民から創らなければならないのだ。


 1972年の沖縄復帰以降、泡盛もそれまでのくさい、不味いというイメージを払拭した。それにつれて飲み方も千差万別。泡盛を炭酸で割るのもそのひとつ、意外と蔵元の違いがわかり個性が引き立つのだ。Aボールのグラスに好みの泡盛を注ぎ炭酸で割って飲る。グラスの中に戦後沖縄のノスタルジーを感じ一味違うかもしれない

 

 



閲覧数:65回0件のコメント

最新記事

すべて表示

昼呑みのすゝめ ①

昔の話、出先の食堂で見た光景。ニッカポッカを着た中年の大男と小さい若い青年が入ってきた。店員に「あれ!」と言っただけで出てきたのは並々と注がれたコップ酒、それを二人とも一気に飲み干したあと食事をした。実に鮮やかな呑みっぷりでかっこよかった。 高所の作業の緊張を和らげるために飲んだのだろうか、酒の効用というものか・・・世間一般でいわれる、真っ昼間から酒飲んでこいつらは、という蔑みが消えて憧れを感じた

小桜十夜 <ジュークボックス>

今の世はいろんな分野で最新のテクノロジーを競い合っているが、昔のアナログ時代でも驚くべきテクノロジーがあった。それは、ジュークボックスという自動音楽再生装置。今は携帯電話からタダで音楽が流れてくるが、その前はCDやMDという媒体を使い、もっと前はレコードやカセットテープなどで音楽を聞いていた。そのレコードが何十枚と入ったボックスにコインを入れ選曲すると機械が自動的にレコードを選び曲が流れる。そんな

Aボール物語 ③

酒飲みは一杯のグラスに思いを詰め込むロマンチストばかり、何処どこの店での一杯に思いをはせる。かくいう僕もこれまで、赤坂見附のバー木家下の開高マテイーニ、新宿伊勢丹サロン・ド・シマジのマッカラン、銀座7丁目ライオンのサッポロ生、老舗居酒屋では大阪の明治屋、名古屋の大甚、京都の赤垣屋の銘柄不明の銅の燗付器から注ぐ燗酒、バーザンボアのハイボールは大阪、神戸、銀座、京都の各店はさすがに変わらぬ味。古くはラ

Comentários


bottom of page