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Aボール物語 ②

  • 執筆者の写真: 中山 孝一
    中山 孝一
  • 2024年3月30日
  • 読了時間: 2分

 戦後の泡盛が何故くさくて不味かったのかについては、冷蔵施設が十分ではない頃の原料米の保存法に一因があるとの話を醸界飲料新聞の仲村さんより聞いたことがある。であるならば長期熟成して古酒にすれば旨くなるはずだということになる。が、そんな悠長なことは言ってられない、戦後の沖縄では泡盛を作るのが精一杯で旨い酒をつくるという余裕などない、まして酒に飢えた人々に、しばらく待てば旨くなりますよ、なんてことを言えるはずがない。だから、泡盛をコカコーラで割るなどして一時期をしのぎ、旨い泡盛ができるのを待つしかなかったのだ。


 この頃、沖縄だけではなく本土でも酒事情は似たようなもので、物資不足で旨い日本酒や焼酎ができず呑兵衛たちは苛立っていた。しかし、ここでも酒に貪欲な呑兵衛たちの知恵が働いた。東京の下町では高いウイスキーの代わりに出来の悪い焼酎を炭酸で割り、柑橘系で味付けした下町ハイボールなどいうものが飲まれたという。その後、長い年月をへて焼酎ハイボールといわれ、いつしかチュウハイとなり、気がつくと日本を代表するカクテルに成長していた。

 戦後、世の中が落ち着くとともに日本の酒業界も旨い酒が出回るようになった。他のものを混ぜて誤魔化さなくても酒自体が旨くなった。しかし、はじまりは庶民の知恵からだったということを忘れてはいけない、日本の酒文化は庶民から創らなければならないのだ。


 1972年の沖縄復帰以降、泡盛もそれまでのくさい、不味いというイメージを払拭した。それにつれて飲み方も千差万別。泡盛を炭酸で割るのもそのひとつ、意外と蔵元の違いがわかり個性が引き立つのだ。Aボールのグラスに好みの泡盛を注ぎ炭酸で割って飲る。グラスの中に戦後沖縄のノスタルジーを感じ一味違うかもしれない

 

 



 
 
 

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