top of page
検索
執筆者の写真中山 孝一

定年後

 スーパーで時折見かける初老夫婦の買い物、定年を迎えた夫を従えるように堂々と店内を闊歩する奥方、夫の押すカートに慣れた手つきで商品を詰め込む姿を夫はただただ眺めるだけ、口を挟めばやり込められる。主従関係が逆転した形だ。

 僕にはサラリーマン経験がないので定年を知らない、が、その経験者を多くみてきた。そのほとんどが定年後の夢を語っていた。我慢に我慢を重ねた40数年がすぎ、子供は巣立ち、家のローンも終わった。肩の重荷を下ろした後は少年の頃にやりたかったこと、プラモデルを組み立てる。夢見ていたサーフインをやる。若かりし頃結成したバンドの復活も、とそれぞれの夢とロマンを語っていた。そんな時は普段見ない輝きがあった。ところが実際に定年後にやりだしたのは家庭菜園だった。なぜか?これが最も家人の賛同があったからではないかと推察する。

 少年の頃の夢、青年の頃のロマンを語るとおそらく冷ややかな目で「何をいまさらそんな呑気なことをいっているの、これから少ない年金生活が始まるというのに」と言われるのがオチだ。という現実をいくらもみてきた。

 巷では認知症が声だかに叫ばれる。70歳近くになると、必ず認知症は起こるということを前提に保険に加入させられるし、認知症予防に関する医療もビジネスも花盛りだ。

 しかし、認知症になってもならなくても、生きている間は若い頃の夢を忘れず、思い描き続けることが大事だと思う。それを少しでも実現に向けるよう温かく見守る家人の存在が一番の認知症予防だと思うんだが・・・妻の後を追い、カートを引っ張るだけではなく、自分の夢を追い続けようではないか・・・と、自らに言い聞かせてみた。

 

閲覧数:79回0件のコメント

最新記事

すべて表示

うつわの力

小梅が早3周年

Comments


bottom of page