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  • 執筆者の写真中山 孝一

食道がん

 昨年2021年の6月、コロナ禍の真っ只中に「小梅」はオープンした。緊急事態やらまん延防止やらと国の巧妙な仕組みに振り回されながらも早1年が過ぎた。というより上手に乗り切った。そして、今年2022年6月19日に1周年パーテイーが開かれた。どこにもない居酒屋を目指すというスタッフたちの奇抜なアイデアで店内にソーメン流しの装置が現れ、客たちの度肝を抜いた。老若男女がこぞって童心にかえり大盛り上がりを見せた。

 

 ソーメン流しの他にもいろんなゲームで客たちを喜ばせたが、その中で「泡盛の銘柄あて」というものがあった。日頃から偉そうに泡盛を語っていた手前出ないわけにはいかなかった。泡盛の30度をストレートで30mほどをショットグラスで味わい、43種の泡盛から銘柄を当てるのだが、味わうどころか一気に喉に落とし込み、結果は予想通り大外れだった。

 そして、この楽しかったイベントの翌日から事件は始まった。

 翌朝、いつも通りのルーチンで始まるのだが、いつもと違うのは声がガラガラで時折かすれたりと声が前に出ない、ハハーん昨日の一気飲みが効いて、酒焼けというやつだなーと気にもとめなかった。その後もしつこく酒焼けは続き、龍角散やらうがいやらハチミツ生姜やらで誤魔化していたが、治る気配がないまま1ヶ月が過ぎた。これはと思い、近くの耳鼻咽喉科に行った。鼻から内視鏡を通し喉を見た結果、声帯の片方が動いてないという、こちらではわからないというので赤十字病院の耳鼻科への紹介状を書いてもらった。

 ここから、思いもよらぬ長い長い8月が始まった。8月3日赤十字の耳鼻科での検査は鼻からの内視鏡にエコー、CTスキャンもはじめての経験。ところがここでもはっきりしたことがわからないのでと、翌週胃カメラを撮ることになった。コロナ禍の中各種検査は完全防備の中行われる。全身麻酔の中行われた胃カメラはいつの間にか終わりベッドで気持ちよく眠っていた。しばらくして担当医の診察があり、撮り立ての映像を見せながら説明する。

「ここから食道が始まり胃にいきます、胃はなんともなくキレイですが、ここ、食道にあるこの腫れ、これ、食道がんですね」単刀直入にバッサリと顔色も声色も変えず言われた。

 ひと昔前だとがんの告知といえば、死の宣告のようなもので、本人に伝えるべきか、そうでないか世を二分するような議論があった。が、今はそういう時代ではなくなったんだ、ということを肌身で感じた。そして、がんであることは確実なので、次の手筈を進めましょうと事は淡々と運んでいった。まずは抗がん剤治療の準備として、体にポートという機器を埋め込む、そして身体中のガンの状態を見るためPETという検査を行う、その後にどういう治療に入るか決めるという。

 本日、2022年8月22日、現在PETまで終了した。この後は担当医がPET検査の結果と共に、大腸検査も行い判断する予定になっている。

 長い8月というのは、いまだにこれからどういう方向に向かうのかがわからず、「待ち」の状態だからである。その結果は8月25日に下る予定である。

 判決が下るのを待つ罪人はこういう心境なのだろうか、この裁判どう確定するのか?

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