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  • 中山 孝一

寓話物語

 イソップ物語ではない。僕がかれこれ40年ぐらい通っている、ジャズライブの店「ライブイン寓話」の寓話である。時は1980年、友人が良い店があると連れて行ったところが、当時東町にあった「寓話」。約6坪ほどの小さな空間のほとんどをグランドピアノが占めていた。5席ほどのカウンターに4人がけのボックスが一つという、こじんまりとした店だった。友人がいう良い店というのは、カレーが実にうまい、ということだった。確かにカレーはうまかった、しかし、それ以上に十分なうまさがこの店にはあった。

 

 カレーは裏メニューだったのである。メインは寓話当主の「屋良文雄」が弾く、ジャズピアノであった。初めていった日から度肝を抜かれた。カレーをつまみに一杯やっている途中からいきなり、ピアノ、ベースにボーカルの演奏が始まった。すぐ目の前での突然の演奏だ

 この一件から、「寓話」との長~いお付き合いが始まることになるのだから人生何が起きるかわからない。その付き合いがどの程度か、かいつまんでいうと、屋良家の子供4人の結婚式に全て参加したこと、我が方の結婚式に屋良文雄がピアノ演奏してくれたこと、さらに我が小桜の周年パーテイー(40、50、60周年)に毎回寓話のメンバーが演奏してくれたこと等、極めて密な関係が続くのである。

 ジャズはそれほど詳しくはないが、ビル・エバンスを師匠と仰ぐ、屋良文雄のピアノの音色は絶品だった。一音一音がとにかく優しい。寓話に惚れ込んだ僕は間をおかず通いだした、それも半端なく一年のうち360日は寓話にいた。やがて屋良文雄とベースの島ちゃんはアメリカへ修行を兼ねて長期の演奏旅行に旅立った、が、その間も寓話に通いつめ二人を待った、と言うより留守番をしていたと言ってもいいぐらいだった。やがて、本場の演奏技術を身に付け二人は帰ってきた。屋良文雄は思いつく、もっと多くの人に聞いてもらいたいと小さな寓話から出ることを、そして、5倍ほどの広さになる泉崎の寓話へ移転する。ここでは東町では叶わなかった、ドラムやサックスが入り、ジャンルの違う音楽メンバーとのコラボも可能にした。もっとも充実した屋良文雄の世界が実現した。

 屋良文雄の世界は、沖縄の空気をジャズで現したり、沖縄の昔話をオペラにした楽曲を作曲したり、見事に独自の世界観をジャズにとどまらずあらゆるジャンルで表現した。さらに沖縄ジャズ協会の会長にもなりジャズの裾野を広げ、その名を沖縄だけに留まらず日本、世界に知らしめた。そんな多忙にもかかわらず趣味のマラソンでは、”世界を走ろう会”の中心メンバーで、ロンドン、ニューヨーク、パリ等各国の主要マラソンにも参加している。

 そんな元気な屋良文雄も病には勝てず、2010年4月8日に逝った。その10日前、入院先がわからず帰りかけてたのを、再度探して見舞うことができたが、それが最後だった。

 その3ヵ月後の7月、天国の屋良文雄から後押しされるようにピアノ教室の門を叩いた。それまで全くピアノも弾けないのに、屋良文雄の一番弟子だと豪語していた。が、今後、真の一番弟子を名乗れるように精進しよう、ピアノだけではなく人生においても

 

 先日、屋良文雄の遺志を引き継いだ、次男の屋良朝秋のコンサートが開かれた。偉大な父からの指導もなく、その背中だけを見て育ったアーキー(朝秋)はほぼ独学でジャズを学んだ。舞台上のアーキーは屋良文雄の2代目ではなく、屋良朝秋独自のジャズの響きがあった。その堂々とした姿には感銘を受けた。

 コロナ禍かを乗り越えた「ライブイン寓話」は今日もアーキーを中心としたメンバーが元気なジャスの音を響かせている。

 


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