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執筆者の写真中山 孝一

やちむん

更新日:2021年11月2日

 沖縄では陶器のことを”やちむん”という、焼き物だからそのまま読んでやちむんになる。昔本土から来た人は、この”やちむん”になれなくて、この”ヤムチン”いいね~という言葉が飛び交った。今では、焼き物の街、壺屋は観光客で賑わう”やちむん通り”となり、ヤムチンという響はなくなった。ちなみに”みみがー”は”ミミンガ”だった。

 約40年前、この”やちむん”に魅せられて、あっちこっちの工房を見てまわる日々が続いた頃があった。欲しいものがあっても金がないので手が出ない、だから鑑賞だけにとどめた。

 しかし、どうしても欲しいという気持ちがおさえきれず出た行動が、「じゃ、自分で作ろう」だった。今では陶芸教室はどこでも見られるが、当時は皆無と言ってもよかった。その中で見つけたのが、与那原にある「宮城製陶所」だったと記憶している。(陶工は宮城勝臣といって、のちに「現代の名工」になった人)そこへ那覇からミニバイクで週一回通った。

 技法は、手びねりといって、粘土細工をしているようなところから入った。何を作りたいのかによって陶工が見本を示し、それに沿って作るのだが僕の場合は、はじめは、皿だろうが、マカイだろうが、最後はぐい呑みの形にしかならなかった。よほどの酒好きだろうと思われたに違いない、まア、違いはないが

 昔、”やちむん”は男の最後の趣味だと聞いたことがある。それは、まず土をこねるところでガキだった頃の泥遊びを思い出し、それを火に投げ込めば火遊びになる、これも男の子は大好きだ。毎回教室が終わる時、土を購入して店でも作り始めた。店が終わって夜中から土を触り始める。一つの器をこね回し、眺めながら何度も手直しして終わりがない、ついに夜が明ける。こうしたことが何度もあった。その時実感する。成る程、これだけ夢中にさせる”やちむん”は男の最後の趣味かもしれないと、実際に土に触れ、作りを経験すると、好みの作者が見えてくる、その後、各地で開かれる陶器市には欠かさず顔を出し買い集めた。

 あれから何十年かして、ふっと思い出したように、”ろくろ”もやってみたいな、と壺屋を代表する陶芸家、国場 一に願い出た。氏は小学校の同級生なので快く受けてくれた。悪戦苦闘の日々が続いたが、一応”やちむん”の流れがつかめたことに満足した。当時、店の器は全て手作りするぞーと意気込んでいたが、今となっては断念したことが正解だったと思っている。

 現在、<小桜、小梅>とも”やちむん”が花盛りである。そのほとんどの作者は「深貝公拓」という、いわゆるナイチャーである。門外漢である。しかし、彼の作品を見ればそんなことはどうでもよくなる。どの作品にもウチナーンチュ以上にウチナーの精神が盛り込まれている。大胆にして繊細、束縛のない自由闊達さが、どの器にも一面に広がり、見る者触る者を魅了してやまない。

 

 その、深貝工房の展示会が昨年に続き、「小桜」の二階で開かれる。新進気鋭の陶芸家「深貝公拓」と築66年の古き「小桜」とのコラボは新しい伝統を生み出すに違いない


 

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