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  • 執筆者の写真中山 孝一

少よく大を制す


ふと思ったこと。「小よく大を制す」という言葉は昔から聞くが「大よく小を制す」というのは聞いたことがない、大に関しては「大は小を兼ねる」だ、人は常に大小にこだわるところがある。

 大きな学校か、小さな学校か、大きな会社か、小さな会社か、人間そのものも大きいか小さいかと問われる。しかしこれらは漠然として大小を言ってるだけで大小の違いは人それぞれになる

 「小よく大を制す」とは柔道の世界から来た言葉で、小さいものでも柔軟に立ち向かえば大きなものでも倒せる。ということ、精神論から技術的にも当てはまり、柔術がこれまで世界的なスポーツになったのはこのことの醍醐味があるのだろう、小さいものが大きいものを投げ飛ばす。この爽快感は見るものに勇気を与える。一方「大は小を兼ねる」、大きさがピッタシか測りかねる時は大を選んだ方が無難、小さいものは大を超えないが大は小をかねるから、ということか

 よくよく考えれば大小の問題は面白い、ところで何故こういう疑問がわいたかというと人々が近年求めてきたものが大の方に偏ってきているのではないかということだ

 やれ、「大会社だよねー」「おっきい家だなー」「でっかいマンションだー」これに全ていいねーがつく、果たしていいものか、中小企業は大会社を目指し、大会社はさらに大きく巨大化を目指す。そうでなければ維持できない、だからそこで働くものはさらに大変な労働力をしいられる。

 かつて大会社ほど人材育成能力があるとのことでいい人材が殺到した。そのおかげで会社は大きくなった。が会社としては能力が見えてくるとその人材も余剰になった。切り捨てが始まった。

 話は変わる。かつての銀行や信用金庫の支店長は偉かった。その街の知名士だった。それは街の活性化を担う重大な立場にあったからで、その街の経済が潤うかそうでないかは支店長の判断で決まった。

 街の工場主、商店街の店主達、そして主婦も、それぞれが銀行や信用金庫の支店に融資を頼む、すると支店長は自らの力量で依頼先の人間のやる気をはかる。やる気あるものには即座に融資、ないものには助言を与える。これが銀行の支店長だった。今、融資を頼むとあれこれの書類を出さなければいけない、その中身はみな数値、やる気を数値化しなければいけない、支店長は自らの決済権もなく本部にお伺いをたてる、本部も数値だけで判断して融資を決める。やる気はあるのにそれを認めてくれない社会ができた。

 この銀行の例は「小よく大を制す」に当てはまるかわからないが、小さい街でも、そこに住む人々がそれぞれの生きる力を発揮して小さくても幸せな社会を作り出している。そこにあるのは人と人との信頼が生み出したパワーに他ならない、経済のみに大きなものを求める組織、やる気の数値化だけ追っても人間のもつ心のパワーは出てこないと思うし、本当の幸せな社会はでき得ないと思うが・・・

 ところで、今年3月15日に小桜が65周年をむかえた。多くの人たちの応援があったからこそここまで続けられたのはいうまでもない。当時同じようにスタートした店は数多くあった。皆一様に大きな店を目指した。その中で沖縄を代表する大きな名店がいくつもできた。あれから数十年大きな名店は一軒づづ姿を消していった。そして小さな小桜だけ残った。

 なぜ65年続いたのか考えてもわからないが、一つ言えることは「小よく大を制す」の言葉通り、小さいものが柔軟に時代に対応すれば、結果生き残れた。といえるか、無理して大きくならずとも淡々と時代をくぐり抜けられたとでもいうか

 これからもどんな時代がやってくるかわからないが、常に柔軟に対応をとの心がけを忘れないでいたい


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