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  • 中山 孝一

酒場というものは・・・


 2015年3月小桜60年の創業を記念して、ロイヤルホテルオリオンで記念のパーテイーを催した

それまで、40周年、50周年の際も行ったが、今回はやることを少しためらった。というのは前年の3月に母が亡くなり、その一周忌もあるし、それよりもあの難儀さを思い出し気力が失せていた

 しかし、やらないわけにはいかない、と自身で奮起を促した。

 やることが決まればことは早い、日程、会場、内容、参加者へのアプローチ等、前二回のノウハウが生きてくる。そんな折、長男の亮がSNSで告知するから、何かコピーを考えてくれと言われた。が、さして考えることもなく、とっさに出てきてのが以下の一文である。

【 酒場というものは「出会いと別れ」のくり返し

   いうならば、「恋愛と失恋」のくり返し

  そのくり返しを、数十年も続ければ、身も心もボロボロになります。

   が、わが小桜は、それを60年間耐え抜いてきましした。

  そして、これからもあえて、この「恋愛と失恋」を楽しもうと思いました。 】

そのスタートに皆様の応援の声を聞きたく、新生「小桜」の集いを開くことになりました。

どうか、多くの皆様のご声援をよろしくお願い申し上げます。 

 これで案内を行なった。咄嗟に出た文にしては、なかなかなもんだと自画自賛した記憶がある。気分が良くなった分、準備にも拍車がかかった。まず日程、思い悩んだ挙句、3月15日にした。

 これを毎年の小桜創業の日と定めた。この日は前年亡くなった母の命日にあたり、そして創業者の父の誕生日でもある。父が築き、母が育てた、小桜の創業の日としてもってこいだ、とこれも自画自賛。

 ここまで決まれば、ホテルとの調整やら色々とやることが満載だ、しかし今回は頼もしいスタッフもできた。子供達だ、前回はまだ学生の身、今回美華子が幕開けをするので、まずその練習を開始した。亮たちは歓迎ボード等を作成した。司会はいつものラジオ沖縄の屋良悦子にお願いした。定番のジャズも屋良文雄亡きあとを継いだアーキーにお願いした。沖縄色をと、エイサーを,徳田安臣率いる松島青年会に、民謡は,山内航の奥さん率いる琉球バスガイドのグループに、と,そしてこれも恒例の引き出物の泡盛は,新里酒造の新里修一氏に委託、ラベルのデザインを仲井真家の子供二人に頼んだ

 こうして内容は着々と進み、あとは参加者を募るのみ、同級生の光文堂の社長、外間くんにお願いしたチケットを持ち、リストアップを元に呼びかけが始まる。

 一軒一軒訪ね歩いてつくづく人の情けを感じた。どこへ行っても聞こえたのが、「60年!すごい!」や「ご苦労さん、必ず行くからね、」と

 会場は人で溢れた。皆の努力が報われた。三代目の襲名披露も無事にすんだ。次の70周年は三代目が仕切ることになる。その時72歳になる。酒場の「恋愛と失恋」はまだまだ続きそうだ


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