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  • 執筆者の写真中山 孝一

”顔たち”と”顔つき”


“顔立ち”と“顔つき”は異なるもの、と言ったのは僕の好きなエッセイスト、島地勝彦さんの書いたエッセイ集、「バーカウンターは人生の勉強机である」という、いかにも酒好きな人間にはそそられる書名の中の一文だ、

いわく、“顔立ち”は親からもらった変えられないもの、良くも悪くも文句は言えない

“顔つき”は、本人の努力如何でいかようにも変えられる。自己の経験や、読書,そして何よりも出会い。友人や恋人、社会人になっての上司、同僚らの付き合いが人生の決め手になり、共に”顔つき”が変わっていく。成程と思う。

もっと早くこういう言葉に出会っていたら少々”顔つき”も良くなっていたのではと思うが、遅かった。確かに“顔たち”におぼれ“顔つき”が伴わないイケメン、美女が多く見られる。外観を磨くのに一生懸命になり、内面の磨きをおろそかにする。

たまに会う同年生でも昔の若かりし頃の姿が見事に変わっている人がいる。あんなにハンサムで頭もよく、運動神経も抜群で、女子に大もての男がどうしたらここまでさえない男になるのか、又は全男子校生の羨望の的だった、あの女性が・・・とか、見るも無残といえばいいすぎだが、余りにも良いときとの差が大きいのでついついそう思ってしまう   逆に見事に大変身をとげた男女もいる。

あのさえない風貌の彼が、今や堂々と世間と渡り合えていたり、何処にいるのかもわからなかった女子が何十年たって同窓会の真ん中にいる存在になったりと、“顔たち”におぼれた組と“顔つき”を選んだ組に分かれたように思われる。人生はこれだから面白い。

 別に始めからこういう自覚では誰も生きていないだろうからどこかで内面の変革が起こったのだろう、人生必ずどこかで分岐点があらわれる。そのときの判断、決断でその後の人生が大きく変わる。

そのとき誰と出会い、どういった本に出会ったのか、そしてそのときの自身の心身の状態はどうであったか、いい判断ができるような鋭さを持っていたのか、等でその後の“顔つき”がどんどん変わっていくのではないかと思う。

 いい“顔つき”の人の条件は、シンプルにいって、この人に会いたい、この人と話したい、この人といると楽しい、と誰にでも思わせる人。と思っている。

 こういう人間はもって生まれたタイプと、その人生の過程で築き上げた人のタイプがある。真摯に正直にいき、そして常に謙虚に努力を惜しまぬ人は見ていて清清しい。そういう人間を目の前にすると自然と素直になれる。

 これからの人生を見直すとき、この“顔たち”と“顔つき”を常に意識するのは決して悪くはない、これからいい“顔たち”が築けるよう努力したい。


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