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  • 中山 孝一

新元号


 新元号が今日発表された。それは、”令和” という、れいわと読む。なんでも万葉集から引き出されたようで、いまいちピンとこないが、ま、そのうち慣れることだろう、平成もそうだった。

 今回は現天皇がなくなる前に、新天皇に引き継ぐという事態が生じたので、こういう騒ぎが起こった。新天皇は皇太子の浩宮、雅子さんが皇后になる。

 日本国の憲法では、天皇は、日本国及び国民統合の象徴、ということになっている。象徴というのは、形のない抽象的なものを形のある具体的なものにおきかえたシンボル、とある。よくいわれるのが、花は美しさの象徴とか、鳩は平和の象徴(シンボル)である、とかが代表的

 だから、天皇は日本という国及び日本人総体を表し、それを具体的にした存在ということになる。が、実にわかりにくい存在になる。

 こういうことを考える日本人はどれだけいるだろうか、僕の孫が小学生ぐらいになった時、天皇陛下とはどういう人物?と聞かれれば、なんと答えればいいのだろうか

 戦前まで天皇は神だった。戦争に負けてから神から人間になった。人間天皇になった。1945年以降だからそんなに遠くない過去である。それまで天皇は現人神であった。そのことを本当に日本国民は信じていたのだろうか、この戦争は天皇の名の元で行った。それは神の声だから逆らうわけにはいかない、だから、皆が天皇陛下、万歳!といって死んでいった。といわれるが・・・

 長い間、天皇とその戦争責任についての議論が行われていた。ここ沖縄では昔より天皇制については馴染みがない、そんなところに何故あれだけの犠牲を強いることができたのか、逆に天皇制に馴染みがない地域だからこうなったんだ、とも取れる。沖縄の地から天皇制を考えると面白いかもしれない、と言ったら不謹慎か。

 初めての天皇が神武天皇、アマテラスオオミノカミの子孫だから神代からきた神であるはずが歴史ではここから人間になっている。ここから天皇家は人代になる。だからここからの天皇の立場は神と人間の間をとりもつということになる。これまでの天皇の役目は全ての国民の安寧を神に託すこと、それを神事という形で行うことが天皇の役目だとある。

 天皇が政治に首を出すということはこれまでなかった。それが昭和になり、国に異常な事態がはしり、空気が一変した。日本国民の多くが大勘違いをしてしまい、いや、無理やりさせられてしまい、考えると実にバカバカしい事態を招いてしまった。それを政治家や学者、識者らはさも真面目に語らうが、未だにはっきりとした、納得できる言葉はない

 さてこれからの新しい天皇は、どういう評価を国民に得られるのだろうか、と言っても国民は評価をなす権利はない、全て国のもの、そしてそれを伝えるメデイアも、評価は一元化になる。

 しかしこういうことはどうでもいいのだ、人間天皇だから。

人と同じく悩み、苦しみはある。

それらを国民と共有できるような天皇に期待し、令和がいい時代になるように祈るしかない。


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