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  • 執筆者の写真中山 孝一

まんぷく


今やっているNHK朝の連続ドラマのテーマである。我々夫婦の日課の一つがこれを見ること

振り返ると、2009年だからちょうど10年前から、まず、「ウエルカメ」「ゲゲゲの女房」「てっぱん」「おひさま」「カーネーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」「あまちゃん」「ごちそうさん」「花子とアン」「マッサン」「まれ」「あさが来た」「とと姉ちゃん」「べっぴんさん」「ひよっこ」「わろてんか」「半分、青い」、についでの、まんぷくになる。これまで19作を全て見たことになる。

 昔から、老後の楽しみは、この連続ドラマを観ることになるよ、と言われてきた、確かに僕の父母もあの大ヒット作、「おしん」を、その時だけは仲良く見ていた記憶がある。 

 いよいよそういう年になったのかとしみじみ思う今日この頃だが、今日のテーマはそうではない、このまんぷくの話だ、

 かいつまんで内容をいうと、主人公はカップヌードルやチキンラーメンを発明した、安藤百福氏の自伝、この画期的な食品を生み出した人間の成功物語だ。このドラマは始まる前から密かに期待していた。というのは、60年前、僕が6歳だった時チキンラーメンは誕生した。その後しばらくして兵庫の親戚から送られて来た小包の中身がこのチキンラーメンだったのである。沖縄でこのチキンラーメンを食べたのは僕が初めてである。という確信がある。

 小学校低学年の僕が一口食べて驚いた。こんな美味しいものがこの世にあるものだろうか、という感動を、10歳にも満たない僕がえた。今日、放映されたものは、長い試作の果てに即席ラーメンが完成し、それを試食した全員が、うまい、といった。それはまさにその当時の僕の姿だった。こういうエピソードにも加え、この番組に興味を感じたのは、安藤百福の着眼である。今、スーパーやコンビニに行けば当たり前のように即席麺は棚を幾重にも覆っている。しかし、麺に味付けされ、お湯を注げばラーメンになるというのは日清の製品だけである。

 あの時、ドラマにあるような幾多の困難を乗り越えなければ、この商品はこの世には出ていない。今日、世界中に隆盛を誇るカップ麺の世界は、ここからスタートした。

 この世に、今現存しているのは全てのものは、それを思いつき、作り出した人間が、最後まで諦めないでやり通したものだけが残った。と言っても過言ではない気がする。あの時、もうだめだ、とか、これは無理だ、とか、絶対できっこないよ、とか、の悲観と否定を繰り返していると、この世には何も現れなかった。

 あの時、安藤百福の中には決して、これで儲けて金持ちになろうとか、の邪心はなくあくまでも世の中に役につことに仕事を捧げる。という崇高な面があった。

 現代の世、欠けているものはこれだと思う、何のために、という、誰のために、という、自分自身の深い思いが、作られた「もの」に生命力が与えられ、それが手にする人に伝わり、世の中で不動の地位を築く、このプロセスはいつの世も変わらないだろう。このことを忘れないようにしたい。


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