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  • 中山 孝一

余計なこと


 小さい頃から母親に、「また余計なことして!」とよく怒られた。余計なこととは、差し出がましいこと、別にやらなくてもいいこと、善かれてと思ってやってしまったものが、実は全くそうでは無かった。ということで、ほとんど良い意味では捉えられてないのである。おまけに、「余計なことはやめなさい」というビジネス本まで出ている。

 確かに、余計なことは、あくまでも余計なことだから、無駄なこと、これを除けばもっといいことがスムーズにことは運ぶし、余計な一言を言って、大きな痛手を食わなくても済むだろう

 余計なことばかりしていた僕はあまり効率よく生きてないかもしれない

しかし、ここではたと考えた。余計なことは本当に悪いことなのか、別に自己弁護するわけではないが、視点を変えれば余計なことも、生かされるのではないかと考えた。稼業である飲食店で考えてみた。飲食店は飲み物や食べ物をお客様に提供して、その対価をいただく、いわゆる等価交換というものだが、この価値を当たり前のごとく交換していての満足度はどんなものかを考えたことがあった。当たり前のことは当たり前だから、みんな当然のごとく受け入れる。だからここで余計なことはしないし、余計なことは考えない、余計なことも言わない

 しかし、反骨グセのある僕はここで余計なことを考える。やらなくてもいいことをふんだんに行う。余計なことを積極的に行うことは難儀が伴う、さらに余計なことはリスクを伴う、失敗すれば、「また余計なことをして!」と非難の的だ

 当たり前の商売をやっていれば多少うまくいくはずであるが、それでは面白くない。だからちょっと考えた。それもありきたりのものではなく、面白いと思うものをだ。

 まず、こう考えた。お客が得る価値=店が提供する価値、これは等価交換

これをこうする、お客が得る価値>店が提供する価値、これは不等価交換になる。これだとお客が思っている以上の満足が得られる。これはお客に対して余計なことをすること、少々プラスになる価値をつけること、それは満足のある余計な価値でなくてはならない。

 そこでやったことは

 ①お客さんの顔を一人一人ポラロイドで撮影した。その後は数人の撮影になったが、その数4千枚以上になった。ポラのフイルムは一枚200円になる。計80万以上の余計なことをした。(酔顔参照)、②全国のお客さんに、お国自慢を地図に書いてもらったら手作りのガイドブックができた。 ③県内すべての泡盛を量り売りにした。それを全部飲み干すとフニッシャーとしてイタリア製のグラスに名前を刻印して差し上げた。ここでも金が飛んだ、余計なことをした。(アワモリマラソン参照)、さらに、④年2回開催のビーチパーテイー、⑤12月は那覇マラソン参加を促し一緒に走る。等、其の他にもいろいろ。

 思えばどれをとっても、余計なこと、と言えないか、しかし僕にとっては決して余計なことではない、どれもワクワクしながら考え実行してきたものだ。すべて大満足だ

余計なことは、大いにやるべきだと思っている。思い切った余計なことは、あとは、余計なことではなくなり、「いいことしたな!」となる。そう、余計なこととは、「遊びの精神!」


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