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  • 執筆者の写真中山 孝一

みそぴー物語


小桜のメニューにみそぴーというのが昔からある。いつの頃から出だしたのかは定かではないが、かなり以前から存在していた。僕が小桜に入った頃の突き出しは、小禄に住んでいた、大川さんが作る、ピーナツ豆腐とみそぴーかどちらかだった。みそぴーは小さい小鉢にたっぷり入っていた、多すぎて残す人が多かった。その頃は馴染みも薄く、名前もなかった。材料は奄美大島で作られる粒味噌とピーナツ、そして砂糖、これだけ。作り方はいたって簡単、まず皮付きのピーナツを油で揚げる。揚げたピーナツと粒味噌に砂糖をかけ、弱火の中ひたすら混ぜ合わせる。みそにピーナツがまとわりつくと完成となる。

 あの当時、味噌もピーナツも徳之島から送られて来たものだった。特に何も特産物がない島から親戚らが送って来た時だけに作る。だから常時あるメニューではなかった。

 ある日、内地から来た観光客が、突き出しとして出したみそぴーを食べ、いたく感動して、これは何というメニューかと聞いて来た。こちらは名前はなく、奄美地方で各家庭で食べられる惣菜なんです、としか答えなかった。じゃ、僕らが名前をつけようということになり、当時流行タレントの、酒井法子こと”のりぴー”にちなんで、味噌とピーナツだから、”みそぴー”にしようということになり、今に至る。

 その後、徐々に小桜の定番メニューになってくる。しかし、各材料の量が定まっていないので

味が一定しない、すぐ固まって食べにくくなる。という問題があった。ある日、ある食品会社から100個の大量注文があった。食品展に出品するという。これはチャンスだと思い、売れる商品になるようにと、色々考えた。まず一定の味を出し、食べやすくするにはと、各材料の量を決めた。そして何度も試作を重ねた。もうこれ以上みそぴーは見たくないという程の試作を重ねた結果、ほぼ満足のいくみそぴーができた。そしてパッケージの見栄えもと、市中に出回る商品を参考に、オリジナルのデザインを手がけ、印刷会社にラベルを作らせた。かなり見栄えのいいものに仕上がった。

 あとは、作るのみ。段取りよくやろうと備品も新たに揃え、作業に取り掛かる。母と姪っ子と三人が小桜で、作る、冷やす、詰め込む、ということを数時間必死にやった。

 結果、出品した100個は全て完売した。努力が報われた。

 あの時のことがないと今のみそぴーはない。いたって簡単といったが、実はそうではない。料理というのは意外とシンプルなほど難しいもの。各素材の量を決め、作る手順を決める。それは、混ぜ合わせた材料を、どれ程の温度に、どれだけ手をかけ、それを、どれぐらいの試作を重ね、改善を図るか。この繰り返しで一品が決まる。

 あの時、三人でバタバタして作ったものが、今では一人で可能になった。全てに安定した商品化ができたと思う。沖縄で唯一の、”小桜のみそぴー”

 まだまだ伸び代はあると確信する。これからも、より一歩上の品質を目指し、より多くの人に認められ、そして食べていただけるように頑張りたい。


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