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  • 中山 孝一

和気満堂


小桜を入るとすぐ真上に額がある。そこに書かれているのが「和気満堂」

書いた人は川上南詠、本名川上 栄、小桜創業者中山重則の同級生である。氏は鹿児島大学の教授で日展書道の部の審査委員もされているとか、重則が生きているときだからもう30年以上前川上さんが沖縄に立ち寄られた、父重則はその数日前から大はしゃぎをしていた。僕のライバルが来ると、小さい頃からお互いを知りともに勉学好きでライバル関係だったそうだが、あの当時進学は誰もができない、まわりの援助で進学が決まったのが川上氏だったそうだ。それにしてもここまでの地位を確保されたのは郷里の期待に応えるべき相当な努力をされたのであろう、残された父重則もライバルでありながらずっと応援していたのを聞くとあっぱれだと思わざるをえない。さてその「和気満堂」の額だが、来沖のとき小桜の二階で氏を招いての小宴を開いた、その際父がお願いをして書いていただいたものである。

 「和やかな雰囲気が充満するお堂」と約していいものかわからないが、なんとなくそうとらえた。小桜がこれからもっとお客さんが喜んで集うところになるようにとの思いで書かれたのではないかと自分なりに理解した。いろんな人が集まる酒場はその器が生きているように感じられるときがある。無機質の単なる建物が息をしているようなことが・・・多くの人がその場で話し、笑い、泣き、たまには怒る。そういう人の行動を全て吸い取りそれがどんどん肥大していく、それは人の気が蓄積されたような感じがするのである。もし科学的にいって間違いなければ、気とは微生物ではないかと、それがいい菌か、悪い菌かによって、その店の雰囲気が変わり、人が集まる店とそうでないとこと分かれるといえば言い過ぎか・・・もっと言えば集まる人は細胞のようなものでもある。人間の体は細胞が新陳代謝をはかりどんどん新しい細胞によって形成される。店もこの新陳代謝がないといつか無くなっていく、限られた許容範囲では細胞の入れ替えがないと古い細胞だけではさびれてしまう、この新陳代謝人間の細胞と同じく自然となされる。自然とうまくいくものである。古いお客さんはいつかいなくなる。そして新しいお客さんがきだす。その時のスイッチ入れ替えのタイミングは重要である。それは店を運営する側の力量が問われるところである。古い客にエネルギーをそそぐのか、それとも新しい方にか、で店の成り立ちは変わってくる。ここで俗に言う「去るものは追わず、来るものは拒まず」という格言がうかぶ。ここで、「来るものは拒まず」のフレーズはこういう客商売では若干違うところがある。時にして強く意を決して拒まなければいけない状況も出てくるのである。酒の発酵過程で悪い菌がいい菌を駆逐する。それと同じく悪い客がいい客を駆逐するとでもいいかえるか、一人の悪い客によってその店の雰囲気が一変する、「和気満堂」が壊れるときである。「和気満堂」の意味は深い。


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