top of page
検索
中山孝一

小桜メニュー物語


小桜メニュー物語

今年で小桜も60年になった。最近たまにあの頃のことが思い出される。創業時は割烹という形態だった。だからメニューも和食系、寿司、刺身、天麩羅、〆の鍋焼きうどん等がメイン、今のような沖縄料理はどこにも見当たらなかった。そもそも沖縄料理とか琉球料理とかがあること自体認識されてなかったと思う。

 あの小さな店に板前が二人ほどいた、戦後10年たった頃だから繁華街というものも無く、しかし戦後のインフラ整備のため本土からの大手の土建屋があふれていたので、どこの飲食店も繁盛していた。小桜もいつもお客でごったがえしていた。

 メニューに変化が出てきたのは1972年の復帰以降だと思う。その頃はフミエが店の厨房を仕切っていた。家庭の主婦だったフミエはまず板前の手さばきを観察して勉強し、やがて寿司も独学でにぎり始める、そして刺身のきり方、煮物、天麩羅等を覚える

時代は序序に琉球文化復活の傾向に入り、食べ物も見直されてきた。ヤマト料理に慣らされていたフミエも沖縄料理を覚えなくてはいけなくなった。突き出しに出していたのは、ジーマミー豆腐、これは親戚の大川さんの作るものを出した。チャンプルーは3種これは現在でも同じく、豆腐チャンプルー、ゴーヤーチャンプルー、ソーメンチャンプルー、作り方は今と大きく変わる。ゴーヤーなどは豆腐を握りつぶして入れていたので箸で食べにくかった、ソーメンはアジ塩で、味付けた。刺身はマグロ、赤マチ(ハマダイ)、タコ、シメサバ、シチューマチ、セイイカ、カジキ、えび等があり、寿司用にだし巻きやウニやシャコガイらが小さなネタケースに入っていた。ごはんも炊いていたので魚汁や魚の煮付け、チャンプルーなどは定食にもなった。その後ミミガーの和え物とかスーチカとかが加わる、ミミガーは本来ピーナツバター、酢、砂糖等で味付けするが、小桜でのミミガーは当時から変わらずゴマ醤油のあっさり味だ、たまに宴会のときはいわゆる沖縄風おでん、テビチが出る。豚の中味の炒めやら、牛モツ炒めもあった。

 50周年を迎える2005年から序序にメニューは変わる、というより変えた。

歩留まりの悪い生ものを無くした。いろんなものを試行錯誤しながら作りじっくり試食をしてもらい反応を見た。結果、塩ナンコツソーキができ、牛モツ塩煮込みが生まれ、スルルーの南蛮が出来た。全て生ものとは反対の日持ちがするもの、あの頃の出なくて捨てていた魚にいつもストレスを感じた。その反動なのか、これらが定着して今や小桜の名物になった。そのほかにもミソピーは以前よりの定番だが出し方が違うだけでこれだけ出るものかと思ういい見本、かつては突き出しで食べられないほどの山盛りを無理やり出していた、もったいなくもほとんどを捨てていた、今沖縄にはここにしかないものとの価値付けを施し、全国展開可能なまでに成長したメニュー。見せ方、出し方、訴え方の重要さを感じた。これからもお客様の立場にたったメニュー構成を・・・

閲覧数:249回0件のコメント

最新記事

すべて表示

「父の詫び状」

本屋で「父の詫び状」というタイトルが目に入り即座に購入した。これまでの父(自分)としてのふるまいをどう反省し、どう詫びたらいいのか参考にしようと思ったのでは決してない。1970年代、「7人の孫」や「時間ですよ」「寺内寛太郎一家」等のドラマをヒットさせた向田邦子のエッセイだ。...

時の記念日に

ここ数年左手にはめていた電波時計が狂いだした。気候変動のせいか、安物のせいか。空のままの左手がなんだか寂しくなった。そこで次なる時計を考えてみた。別に時間に追われている生活ではないし、時計を必要としているわけではない、が、仕事に追われて時間を忘れていた頃よりも、時間が刻まれ...

bottom of page