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  • 執筆者の写真中山 孝一

那覇マラソン


 毎年12月の第一日曜は沖縄県那覇の以南が騒然となる。

二万数千もの人間が南部路を駆け巡る。一人ひとりのウエアーは毎年派手になり、それが一斉に動く姿はまるで走るファッションショー、圧巻の極みだ、スタート時はあんなに元気な姿が20,30キロを過ぎる頃には別人になる。それが実に面白い。

那覇マラソン---今年で29回目を誇る日本でも最大級のマラソン大会は年々人気を博していく、今年はわずか10時間半で3万超もの応募があった。

我が小桜にも大勢のジョガーが全国から来た。数年前から一度走ったジョガーがその魅力を語り継ぐことから一人ひとり増えいつのまにか「チーム小桜」が出来上がった。チームといってもそんなたいそうなものではない、前日の走る前エネルギー補給といって飲み会を(前夜祭と称す)、当日走った後エネルギー補充といって飲み会を(打ち上げと称す)、それだけのこと、年にたった二日間だけのチーム、終われば即刻解散となる。マラソン大会の参加者増加に比例して「チーム小桜」も増加の一途をたどり毎年この二日は店外へも会場をつくり大騒ぎとなる。しかしその姿は毎回文句なしに楽しいものになる。

マラソンは過去を振り返り、未来を見据えることができる。スタートからゴールまで42.195キロの中で人生を感じる。それはまぎれもなく実感する「ホントの世界」そこに「ウソの世界」はない、一歩踏み出すとホントの自分しかない、誰のせいでもない、言い訳も出来ない。現実から勇気を出して一歩飛び込むことで新たな自分を発見できたことに感動する。そして純粋になり、素直になる。そのとき人は清々しくなれる。人が好きになれ、人が恋しくなる。この二日間のジョガーたちの様子はまさにそんな感情が噴き出したように見てとれる。まさにそこに、「平和の輪」ができる。誰が作ったものではない、一人ひとりの人間が主体的につくられた、本物の「平和の輪」である。

この夜の那覇にはいたるところで見られた光景であろう、昼のマラソンコースは上空から見るとジョガーと沿道との交流はまさに「平和の輪」であったろう。

 この輪は、今もめている基地の建設費と維持費を、走るための道路整備に回せば、全世界的に広がる輪となるんだがなー。


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