人の悪口を言ってのむ酒は最高にうまい、という人がいる。確かにそうだと僕も思う。そうは思わないという人はいかにも善人ぶっている気がして、そういう同調しない人と飲むと、逆に酒が不味くなる。数人が一人の人の悪口を様々な角度からいう、その度に同調して、笑いが起こるそういう酒はなんだか実に美味いし、座が盛り上がる。
そうやって、盛り上がった後には、必ず、でもいいとこもあるんだよな、てなことになる。
決して、最後まで傷つけることはない。どこかですまなかった、という思いが出てくるのか、今度はなぜか、褒めに入る。とここでも同調する。
今日も美味しい酒が飲めるのは、あなたのせいよ、ありがとうございました、で終わる。
人間はこうでなくてはいけないと思う、そうでないと、許せない、が憎しみ合いになり、喧嘩になり、戦争になる。人を非難する中にも尊重を忘れると、上げた手を下ろせなくなり、そのままもっと上に振り上げることになる。そうなるともう戻れなくなり、後は後悔しても仕切れない。許す力、という本があった。読んではないが、これは必要なことだと最近思う。これまでの人生でもいくつか許せないと思うことが幾度もあった。でも今考えると、そういうことがあって、今の自分が存在するということ、その度に考えたことで今あるということは、なければ考えなかったことだから、こういう考えも出なかったということになる。
酒の飲み方に戻す。酒を介して、いろんな出会いが生ずる。先日ある飲み屋で聞いた話、だいたい店に初めてくる客は、皆紳士然とする。正体を明かさない、店に嫌われないように振る舞う、そうでない人はよっぽどあっちこっちで嫌われて、いわゆる、出禁、出入り禁止をくらい。どうせここでも出禁を食らうから、といきなり悪態をつく、でもほとんどが正体を隠す。体裁を作ろうというタイプが多いようだ。しかし、それは時間の問題となる。だんだんボロが出る。
それはその人の本性だからどうしようもない。見るに、そいうタイプほど、妙に小さいプライドをもっている、少しでもそこを突かれると激昂する。いわば、自分に自信がないのである。
自信の積み重ねをしていけばいいものを、ある程度、人が付いてくると錯覚を起こす。自身を過大に評価しだし、より大きな錯覚を招く、そうなると他人の意見に耳を傾けなくなる。自信過剰の上積が始まる。こうなると厄介だ、自身を振り返る機会を失う
そういう人が、美味い酒の恩恵に預かる人になる。この世、そういう人もいなければいけないのかと最近はつくづく思うようになった。
落語に”酢豆腐”というのがある。物知りを自慢する大家に、一泡拭かせようと企む長屋の連中とのやりとりを描いたものだが、いつの時代でもそんな連中は出てくるもので、そんな世の中を面白くする人たちがいるから人生は楽しいんだと、思い、どちらも楽しんでいける世の中にしたいと考える。
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