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  • 執筆者の写真中山 孝一

自転車で散歩といこう

 土の中での冬ごもりから虫たちが春の陽気にさそわれ蠢き出すという「啓蟄」、沖縄では「うじゅむん」というらしい、この時期はほんとに気持ちのいい日が続く、家にこもっているのが実にもったいない気がする。そこで虫の気持ちになってみようと我も蠢き出した。

 しばらく乗ってなかった自転車に空気を入れ錆止めをぬり撒くと乗れそうな気がする、これもリハビリとばかり恐る恐るペダルをこいだ。なんとか乗れた。

 家のすぐ近くに「長虹堤(ちょうこうてい)」という琉球王朝時代の歴史的道がある。中国からの冊封使がここを通り首里城へむかったという由緒ある通りだ、が、なぜか戦後は有名な赤線地帯「十貫瀬通り(じゅっかんじ)」と名を変えた。この通りをまず自転車を走らせる。少し走ると異様にでかい建物にぶちあたる。かつてのダイエーだ(現在ジュンク堂)、ダイエーがあれだけ躍進したのは復帰前の沖縄の特殊な社会制度をオーナーの中内功が利用しまくったからということはあまり知られていない。おそらく現在でもそれに倣う輩はごまんといるかもしれない、しかし、カリスマ・中内功の末路をみると沖縄を食い物にすると碌なことはないと思うのだが・・・

 

 そんなことを考えながら自転車はモノレールの美栄橋駅下で信号待ちをする。この駅周辺にには「美栄橋改修の碑」という石碑があったり、「七つ墓」という伝承の墓があったりとゆっくり見回すと史跡の多いところだが目立たないので素通りされる。美栄橋では2つの川が合流している。(久茂地川、潮渡川)

 自転車は潮渡川沿いを西へむかう、しばらく走ると国道58号線にあたる。ここは復帰前まで「1号線(いちごうせん)」といった。米軍が作った軍需道路で戦車が走ってもびくともしない頑丈さどころか非常時には滑走路にもなるといわれたが真意の程は、

 笑い話がある。沖縄のおばーがタクシーの運転手に「にいさん、いちごうせんを走って・・・、」といったら。運転手が「??、ああ、58号線ね、」おばーはすかさず「へー道路も歳とるんだね~」

 58号線を渡って右と左を眺めてみると面白い、右が「前島」という歓楽街、左は「松山」という歓楽街だ、復帰前までかつての那覇の中心歓楽街だった「桜坂」は復帰後この両地域に中心の座を奪われた。しかしその隆盛は長く続かずバブル崩壊と共に静けさを増していった。現在那覇の酒場の形態はかつてのような特定の地域(例えば龍宮通り社交街)に集中するのではなく那覇全域に分散されているようにみえる、これも時代の流れか

 また又そんなことを考えていると自転車はいつの間にか川沿いの終着点にきた。川の水は若狭の海に流れる。ここから自転車は海岸線を南へ走らせる。

 いつもなら目の前に巨大なクルーズ船が停泊しているのだが、コロナ禍ついに姿を見せなかった。海外からの客に歓迎の意を伝えるでかすぎの二基の龍柱(りゅうちゅう)が寂しそうだ。海岸線は那覇で唯一遊泳できる波の上ビーチで仕切られる。その側には珊瑚礁が隆起してできた岩山がありその上には波の上神宮がある。自転車はその真下を通り抜ける。すると、大きな高架下に出くわす。空港へと伸びる、海底トンネル「那覇うみそらトンネル」道路の下にあたる。ここが目的地になる。

 ここまで自転車で約10分の距離、この高架下でテニスの壁打ちをやったり、海を眺められる東屋で読書をしたりと至福の時間を過ごすのを目的でやってくる。10分間のポタリング(自転車散歩)でゆっくりと見て回ると過去の姿が蘇り、現在と比べその変わりように時の移ろいを感じる。これから10年、20年後はどのように変わっていくのだろうか


 


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