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  • 執筆者の写真中山 孝一

自分史をはじめる

 今年1月31日、ジュンク堂で本を物色していたら、知の巨人と云われた、立花 隆の「自分史の書き方」という本が目に入った。知の巨人にしては意外なタイトルだな、と思いながらもパラパラと捲ると、時間を忘れるぐらいの立ち読みをしていた。この時点で次なる行動は決まった。翌2月1日から、「自分史」を書き始めていた。本棚を見ると、某新聞社が出した「自分史テキスト」なるものがあった。数年前に購入しているが中には何も書かれていない、時期早々だったかもしれない。ということは今年はそういう時期に来たということになる。確かにそうかもしれない。

 この「自分史の書き方」はセカンドステージを迎えたシニア世代に、立花 隆が自分史の手順を講義して実際に書いてもらうというドキュメントで、文章に全く縁のなかった人が、生い立ちから始まり年を重ねていく過程を、その時々に起こった事象を交えて描く文章は実に新鮮であり、立派な現代史になっている。それぞれの受講生の年代もほぼ同じなので共感することが多々あり、知の巨人の手ほどきの巧みさが窺えた。

 さて、2月1日から始めた、我が方の「自分史」は、まず締め切りを決めた。5月15日とした。この本によると、模範的な「自分史」は日経新聞で連載の「私の履歴書」という。それが原稿用紙で100枚ほど、それにならい、5月15日までの104日間で100枚40000字の目標を設定した。

 5月15日というのは、沖縄の復帰記念日で今年は50周年になる。しかし、僕の場合はそれとは別の意味がある。16年前からこの日を自分の再生記念日としている。それでこの日までと決めた。

 ところが、年表を書き出すところから始めた「自分史」はことの他順調に進み、4月中旬には100枚に届いた。幼年、青年、壮年、そして現在、と、それぞれの時代にあった岐路を思うと面白いように記憶が蘇り、ペンではなくキーボードが快調に動いた。しかし、

 この本にこういう一文がある。「自分史は魔物だ、書く時々で、自分の思いが変化する。だから書いても書いても、また書き直さなくてはならなくなる。」

 100枚を書き終わり、読み直すたびにこの一文が思い出されてきた。どんな人間の人生でもたった100枚程度の原稿で納まるものではないことに気づく。書き足りないことが山ほど出てくる。いまだに原稿に向き合うたびに足し算、引き算を行い終わることがない。満足のいくような「自分史」は決してあり得ないことがわかった。ここに冒頭の「自分史をはじめる」ということに行き着いた。これまでの「自分史」を土台にして新しい「自分史」を始めればいいのだと

 先日(5/11.12)に生まれたところを見に行った。自分の始まりを確認したかった。ほぼ60年ぶりになる。兵庫県尼崎杭瀬寺島町16番地という地域はほとんどが長屋住宅で、住む人々は各地方から移住した人ばかりだった。行ってホッとした。記憶の彼方にある街の風情はいまだに残っていた。

 生まれが兵庫県、両親の出は奄美大島、そして育ちは沖縄という僕の基点はどこに置くべきかと長い間考えあぐねていたが、今回の小さい旅で決めた。そんなことはどうでもいいことで、どこで生まれ、どこで育とうが関係なく、人間として自由に生きればいいのだと

 「自分史」とは自分の歴史の旅、それはまだまだ旅の途中、よって、本日2022年5月15日の我が再生記念日より「自分史をはじめる」ことにする。


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