検索
  • 中山 孝一

絵を描く日常

 コロナ禍で孫をみる機会が増えた。が、その対応に戸惑うばかりか、体力の衰えが身に沁みる。抱っこで腰にくる、走り回られると膝にくる。だからどうにか楽しようとテレビを見せる。「おかあさんといっしょ」や「いないいないばあ」を大量に録画して、それに飽きたら携帯で「YouTube」を見せる、呆れるほどの手抜き孫守りをやっていた。

 そんな状況を見かねて保育士の娘からダメ出しを喰らった、ここは素直に手抜きを認めた。ではこれからどうすればいいか、そうだ!遊具を手作りして一緒に遊ぼう、それだと体力作りにもなる。と考え、大量に捨てていた牛乳パックやペットボトルを集めだし、幼児向けの遊具の作り方を調べ取りかかった。簡単なものでも予想外にうけた。気を良くして次から次と作り出し、いつのまにか作るのが楽しくなってきた。

 その頃のある作品(?)が、磁石を使った定番の「魚釣り」。でかい段ボールを釣り堀に見立て、牛乳パックにイラスト風に描いた魚の型を取り、それに磁石をつけて釣る。これがまたうけた。ますますエスカレートしていくのが悪い癖、イラスト風に描いた魚の絵をもっとリアルに描けないものかとの野望(?)が頭をもたげた。 次の日、埃をかぶっていた画材を見つけ出し、見よう見まねでマグロと犬の絵を描いて見た。

 孫に聞いた「これ何に見える?」「お魚とわんわん」との返事、これで決まった。

 絵を描く日常が始まった。家人には、またはじまったよーという冷たい視線を感じたが、思い立ったが吉日が信条の僕にはなんのその、この年になると常に「今でしょ!」と思わないと何事も成就できない。とにかく描き出した。下手でもいい、上手くなりたいがために描くのだと言い聞かせて・・・とは言ってもなかなか大変なことだとわかった。数年前にもちょこちょこ描いていたが、その時はミロやピカソを気取って抽象画なんだとわけのわからん絵を描いて自己満に浸っていた。今回はじめてリアルさ、写実というものに取り組んだから大変だ、まず形が上手く取れないし、色が上手くその通りにのらないとか、大変なことが一つ一つわかってきた。しかし、冷たい視線が温かい視線に変わるまで頑張らなきゃいけない

 絵を描きはじめてからの日常は、これまでと少々違ってきた。何気に見てきたまわりの風景がこれまでとは違うものに感じられるようになった。建物でも、公園の緑でも、人物でも、家の中にある日用品でも、全てを絵の対象に見たてると細部まで観察するようになった。絵を描いてみると、世の中のもの全てに「かたち」があって「いろ」があるんだと気づく、しかし見る人によってはその「かたち」も「いろ」もまったく違ってくるんだろうなあとも思う。

 一万人の人間が同じ風景を描くとおそらく一万の違う個性ある風景画が生まれる。そう考えると絵を描くという観点は面白い、何が真の世界かわからなくなるし、すべてが真の世界だといえることもあるし

 このテーマ「絵を描く日常」は僕の好きなエッセイストで画家の玉村豊男氏の書名である。氏が重病で長い闘病生活を余儀なくされたとき、学生時代を思い出して絵をはじめ、プロの画家に至るまでのことを書かれている。孫がきっかけではじまった「絵を描く日常」、将来孫たちと一緒に絵を描き、楽しめるように続けていきたい 


閲覧数:66回0件のコメント

最新記事

すべて表示

今年1月31日、ジュンク堂で本を物色していたら、知の巨人と云われた、立花 隆の「自分史の書き方」という本が目に入った。知の巨人にしては意外なタイトルだな、と思いながらもパラパラと捲ると、時間を忘れるぐらいの立ち読みをしていた。この時点で次なる行動は決まった。翌2月1日から、「自分史」を書き始めていた。本棚を見ると、某新聞社が出した「自分史テキスト」なるものがあった。数年前に購入しているが中には何も

イソップ物語ではない。僕がかれこれ40年ぐらい通っている、ジャズライブの店「ライブイン寓話」の寓話である。時は1980年、友人が良い店があると連れて行ったところが、当時東町にあった「寓話」。約6坪ほどの小さな空間のほとんどをグランドピアノが占めていた。5席ほどのカウンターに4人がけのボックスが一つという、こじんまりとした店だった。友人がいう良い店というのは、カレーが実にうまい、ということだった。確

おふくろという言葉は、もはや死語だろうか、「おふくろの味」となれば更に遠く、昭和の匂いがしてくる。あの当時「やっぱ、おふくろの味が最高だよな」とか「これ、うちのおふくろの味にそっくりだ」とか、やたら「おふくろの味」のフレーズが聞かれた。一説にはマザコン男子の特許とも・・・否めない そもそも、「おふくろの味」という実態はなく、その味は千差万別、それぞれが持つ記憶が、味の決め手となる。最近の調査では若