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  • 執筆者の写真中山 孝一

牧志界隈を歩く その十二

 グランドオリオン劇場は僕らの憧れの劇場だった。テレビなんてまだまだの時代、映画のみでしか伝わらない日本の俳優たちは、それはもうキラキラ輝いていた。これをオーラというのか、そのオーラを持った人たちが来たのがこのグランドオリオン劇場だった。

 1955年はいたるところに映画館ができた。グランドオリオンもこの年の12月にできた。それまで那覇市役所がこの地にあったと昔の地図にはある。1955年は我が小桜もその年の3月には生まれているから、グランドオリオン劇場ははその後に作られたことになる。戦後から10年経った65年前になる。


 グランドオリオン劇場にちなんで名付けられたのが、「グランドオリオン通り」、今は正式には単にオリオン通りとなっているが、我々にはグランドは外せない。2002年に閉館して、2015年に現在の屋台村ができるまで、巨大な廃墟になっていた。

 さて、はじめに書いたオーラを持つ人たちだが、記憶にあるところから、山東昭子、松島トモ子、高倉 健、里見浩太朗、他なかなか思い出せないが、とにかくたっくさんの往年のスターたちがグランドオリオン劇場に来ていたのは間違いない。僕は美空ひばりとベンチャーズを生でみたというのが今でも自慢だ

 当時、沖縄で一番大きな劇場がこのグランドオリオンだった。今でいえばコンベンションホールか


 グランドオリオン通りの右角は琉球銀行壺屋支店だった。(今はATMのみ)結構古い建物だ、隣にも昔からあるようなトタン屋根の物件がある。その先を行くと右側の駐車場奥に注目だ、錆びたトタンの壁がむき出しになっている木造の建物がある。看板には「民藝酒場 おもろ」とある。かつて民藝運動をしていた、濱田庄司やバーナードリーチらが通ったという老舗酒場。店内は民俗資料館といってもいいぐらいだ。いつまでもあってほしい店。多くの人に是非来ていただきたい店だ

 隣にも昔から続く「十和田」がある。ほぼ50年になる小料理店。創業者がまだ現役の店で、先日訪ねた時ママから聞いて驚いた話。店名の「十和田」の命名が、小説「八甲田山」を書いた、新田次郎氏からのものであるとのこと、その時の色紙を見せていただいた。那覇の名店二店がひっそりと並ぶ処です。


 この先にもう一つユニークな店がある。「しんあいでんき」という木造の一軒家、(壁にある昔の看板はみんな本物)昔、那覇の酒場はほとんどが「ジュークボックス」という機械から音楽が流れた。しかし故障も多くそのメンテナンスに活躍した数少ないでんき屋さんがこの「しんあいでんき」だ。

 その「ジュークボックス」を見事に使いこなしている店が隣にある、「ゆうばんまんじゃー」 5坪ほどの店内に所狭しと並べた昭和時代の国内外のグッズ、これは説明不可。その中で「ジュークボックス」にかける情熱が、店主の新垣さんから重々伝わる。小さい店にもかかわらず、洋曲と日本歌謡との専用二台の「ジュークボックス」が置かれているのである。必見の店です。


 その「ゆうばんまんじゃー」(夕飯時に出る一番星のこと)の横の路地を入ると、また、ぞくっとくる空間が・・・左手には、野外喫茶とでも云おうか「ひばり屋」という看板、正面には屋台ではないが、屋台ラーメン「龍珍」の看板が、昭和のラーメンにあえそう。さらにこの一角には新進の「HICONA CURRY」というカレーショップがあったり、その隣は昼からカラオケが流れる「イヤリング」というスナック、そして、おでんの看板ながら中ではカラオケが鳴り響く「がじまる」。その隣には、開店時間不明の「Mammy」、そして、いつ営業しているか不明の「瓦屋」がある。この一角は昔から気に入っている空間で、密かに「桜坂3丁目」と名付けている。

 かつての桜坂社交街の全盛の時、メインから外れた場所がそのまま残っている。足元の割れ目を見ればその歴史を感じる、この空間はなんとなく落ち着くところだ




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