桜坂界隈を入り口から歩いてみる。といっても、牧志ではこの桜坂ほど変化を見せたところはない、だから今はなき桜坂というところか。国際通りのフアミリーマートの向かいあたり、今漢方の薬局があるあたりが桜坂の入り口に当たる。正確には「桜坂中通り」といった。そこから道幅約5、6メートルほどの道がずっと続き、約200メートルほど行くと「てんぷら坂」にあたる。
この「桜坂中通り」の入り口付近に「1812年」という素晴らしい喫茶店があった。チャイコフスキーの曲からの店名だろう、昼はクラシックが流れ、深夜0時からはジャズライブが始まるという音楽好きにはたまらない店だった。が、なんの変哲も無い道路のために立ち退きを余儀無くされることになった。現存していれば間違いなく、日本国中に知れ渡る名店になっていたと確信する。
「桜坂中通り」がどうであったかを思い出しながら歩いても、なかなか思い出されないものだ。右には希望ヶ丘公園があるが、そことこの通りの間がどうだったかが全く思い出せない。だが、通りの左側をゆっくりと見ながら進むと、あの当時からと思われるブロック塀に、その裏にある古びた木造屋、勝手にいってる「桜坂3丁目」を過ぎ、つけめんの文字の今にもくづれそうなコンクリート家、その向かいにあるバーの異様な色の建物で、やっと微かな桜坂をみる。
(桜坂の定義については、幾多の伝説があるのでここでは詳しく述べないことにする。)
異様な色の建物の先から、道はやや登りになる。このエリアは昔高級キャバレーが連なっていた。この辺りは外人の来るところでは無いが、いくつかの高級な店にはフルバンドでジャズを響かせ、ペチコートをつけたホステスたちが地元の客と踊り狂っていた。という現場を僕は小学一年の時に確かにみた。
その高級キャバレーが連なっていた地帯は、今や全国的に有名なゲイの園になった。
中通りの先が「てんぷら坂」になる。ここは牧志と壺屋の境になるところだ、右に行けば平和通りに、左に行けば壺屋の「ヤチムン通り」に出る。
その「てんぷら坂」を左に行く、昔からある沖縄風居酒屋を過ぎて、また左に行く、右側は「ヤチムン通り」にいく坂道になる、この界隈は昔から変わらない、入り組んだスージグワーを探索すると実に面白い、お薦めのコースだ。戦後の那覇の街はここからスタートした。その壺屋との境を進み牧志へと戻ると、グランドオリオン通りに出る。左手に「桜坂社交街」のアーチ看板が見える。そこに入ると右手に「センター」とだけ書かれた小さな店がある。普通のスナックと思いきや、とんでもない人がこの店の経営者なのである。名は「タモツエイコ」
彼女のことは簡単には書けないので、いずれ詳しくお伝えできればと思っている。
桜坂は奥が深い。先日「希望ヶ丘公園」の下を歩いていると、鉄格子でしっかり塞がれている壕の入り口からひんやりとした冷気を感じた。
「足元に深く横たわる琉球石灰岩が、街づくりにある種の影響を与えないではおかないという、そこに住む人たちの無意識の心理状態の作用がある。」と牧港篤三は「幻想の街・那覇」で述べた。足元の琉球石灰岩は何を訴えようとしているのかを考えようと思う。
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