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執筆者の写真中山 孝一

牧志界隈を歩く その六

更新日:2020年5月20日

 牧志は曲がりくねった小道が多い。ランドマークもないので場所の説明に困ることが多い

よって、これから勝手に通り名やらをつけて行くことにする。例えばいま、那覇セントラルホテルの前にいる。この通りをセントラル通りとする。この前の坂を登り国際通りを越えてグランドオリオン通りを行くと壺屋方面に出る。逆だと安里川を越えて58号線に出る。58号線は復帰前は1号線といって軍用道路だった。緊急時には滑走路にもなるようにできている。ベトナム戦争の時は堂々と戦車や装甲車が走っていた。こんな笑い話がある。沖縄のオバーがタクシーに乗り「1号線に出て、北へ向かって、」と運転手にいうと「ああー58号線ね、」という「へ~なまの時代や道路も年取るんだね~」という沖縄オバーの代表的ネタ。


 話を戻して、那覇センの向かいに小さな小道がある。そのすぐ左手に下がバーのマンシヨンがある。そこは1980年に上映された「男はつらいよ ハイビスカスの花」で舞台になった、”ホテル入船”の後だ、ホテルとはいっていたが、木造の小さな味のある旅館だった。ここに寅さんが泊まった。照りつける太陽をさえぎようと寅さんが細い電柱に隠れるシーンには笑った。今やこういう話を知っている人は少なくなった。いつかここに「男はつらいよ、寅さんゆかりの地」という碑を立てようと勝手に企んでいる。

 そこから少し右手に行くと、ライオンズマンション牧志第二のすぐ隣に何やら怪しい古い一軒家がある。今にもくづれそうである。明らかに傾いている。そっと測ってみた、軒の高さが右側が12.4センチ下がっていた。上から見ると沖縄伝統の赤瓦だが、形がなんともいえないいびつな形で一階が奥に増築されているようだがそこの形もおかしい。おそらくライオンズマンション第二はこの建物に併せて造られたようだ、マンションの形もいびつだから・・・

 看板が”夢屋”となっている。以前は散髪屋だった。長いこと続いた最初の散髪屋がやめ、また次も散髪屋がここを借りたが、長くは続かなかった。しばらくしてここを一人でコツコツ改造し始めた男が現れた。何をやってもどうせ長続きしないだろうな、と、ここを通る人らは冷ややかにみていた。無論我が家の誰もがも、しかし、期待は見事に裏切られた。


 しばし夢屋の話をしよう。店に入る。右手にはカウンター6席、左手に4名がけのテーブルが二つある。細い狭い厨房に立つ大将の名は「嘉数氏」(かかず)全て一人で取り仕切る。

 一番手前の小さな空間だけで焼き鳥からチャンプルーまでこなす、何を食べてもうまい。生ビールを頼むと奥のサーバーまでいき素早くだす。客を待たせることはしない

 なんでも一人でこなす手際の良さには驚嘆を覚える。この店まだ数年しかならない、しかしこの建物の古さと、その魅力を十二分に引き出した嘉数氏の人柄の良さが相まってもう何十年も通い詰めてるような錯覚に陥る。我が家では皆が集まると「よし!夢屋で夢を語りに行こうか」となって大宴会がこの小さな店で始まる。

 ところで、ここだけの話だがこの店には美女の客が多い。それはそうだ、本当の美女とはこういうところに来るものなんだ。”夢屋”を牧志の重要文化財に登録した。





みそぴーをアテに夢を語ろう


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