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執筆者の写真中山 孝一

牧志界隈を歩く その五

更新日:2020年5月25日

 今日は昨日と打って変わって快晴、a.m.6時14分家を出る。家から出ると向かいに那覇セントラルホテルがある。自宅の近くに観光ホテルがあるのはリッチな気分にさせる。我が家もリゾートホテルなんだと思えばいい、それでは今日もそんな気分でリゾート地の牧志界隈を

 今日は一押しのスポットを紹介する。那覇セン(那覇セントラルの略)に向かって左を行く。高良獣医(この辺ではこの名称で地域のランドマーク)から左へ行く、最初の角を右に、坂道を登ると、また一段地面を引き上げたような坂にあたる。その左側に石積みがある、自然の石をただ積み上げただけの、野面積みというものだが、これが崩れづに昔からある。いつ頃からあるのかわからないが、この辺の人の話では戦争中の砲弾をうけた跡があるとか、ということは75年前からあることになる。石垣からハブが時々顔を出す、とか聞いていたので昔は近づかなかった。

 以前この地に立派なお屋敷が立つ予定だった。住民は羨望のまなこでその完成を待ち望んだ。が、どういう事情だか日の目を見ることはなかった。現在はマンションが建っている。


 石垣からマンションを過ぎると、今度は急な下り坂が、そこから正面を見ると、過去と現在が交差するなんとも不思議な光景が見える。少し向こうにモノレールが走る。その手前とはるか奥に立派な高層マンションが建っている、それを確認したら手前を見てみよう、緩やかなカーブを描く道に沿って合わせた見事なブロック塀がある。その後ろには赤瓦の家、トタン屋根の家が所狭しと密集している。中には灰屋もある。皆低地にある。安里川が氾濫すると床上浸水間違いなかった。まさに戦後、那覇に住民が戻って来た時の様相がそのまま残る風景だ、多くの住民は住み慣れたこの地を無念にも離れた。が、まだ一部だが残っている様子を見るとホッとする。


 左へ向かう。マックスバリューへの道を越えてそのまま行くと”長虹堤”に出る。

ちょうこうていと読む、昔中国との交易の際、松山から崇元寺までの交通路として橋と堤防で作った道路だ、歴史的な説明になると長くなるので省く。那覇の人はこの辺を単に”十貫瀬”といった。

”じゅっかんじ”ではなく”じっかんじ”と読んでいた。この通りはいつのまにか隠れた飲み屋街になった。那覇では戦後、辻、栄町、桜坂、等がメジャーな繁華街だが、あの当時はこういうゲリラ的な飲み屋街があっちこっちに出来だした。今や全くその面影はない。子供たちががこの通りにあるコスモ保育園に通っていた時、送り迎えの時によくキャッチされた。朝に夕に関係なく。

 牧志は全体が起伏にとむ街だ、中でもこの二丁目はほとんどがうねった地形になっている。そして道をよく見るとつぎはぎだらけだ、マンホールも付け足しだらけのことがよくわかる配置だ。さらに曲がりくねった道、となれば住むに最悪、と思われるかも

 しかしここに住んで60年、ここはいい。小さい頃この牧志二丁目内だけで3回引越しをした。結婚して2年近くを隣の安里で住んだが、なんだか都落ちしたような気分になった。(安里の方々には失礼!)それほどこの牧志二丁目はいい。目の前がホットスパー(だった)、ちょっと行けば三越(だった)、国際通り、平和通り、ダイエー(だった)がある、さらに赤提灯はいたるところに、そして何よりも静かだ、次は🏮も含めて、ご案内を

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