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  • 中山 孝一

牧志界隈を歩く その七

最終更新: 7日前

牧志界隈を歩くとは、昭和を歩くことでもある。ゆっくり歩き回ると昭和が見える。例えば旧三越を背に前を見ると、いかにも沖縄らしい色づかいのアーチ看板、”平和通り商店街”の文字が、どうだ!という感じで目に飛び込んで来る。両側には平和の象徴かハトの絵もある。

 その看板の左手にある建物を注目してほしい、下はビルを覆い隠し焼肉屋になっている。30度上を見ると、らせん階段が見える。かなり古いビルで、昔は”らせんビル”とかいわれて、超モダンな建物だった。今このらせん階段の登り口は塞がれている。

 平和通りを入ってすぐ右手には、創業64年の”純喫茶「門」”がある。去年初めて入った時の記述には「店内は昔のまま、シンプル、まさしく昭和の純喫茶、モカとミックスサンドを注文、ミルを引く音、卵を焼く音が聞こえ、ビバルデイの「四季」が流れてきた。大ぶりのコーヒーカップに、サンドイッチ、本、クラシック、全てが揃った。」とある。

 まさしく昭和の時空を味わえるところである。

 次に、その「門」の斜め向かいにある、少し登りの赤レンガの道を注目してほしい、ここは僕が那覇の中で一番好きな道である。勝手に”スペイン通り”と呼んでいる。ちょっとアメ横っぽい雰囲気が漂う・・・この地こそ沖縄の戦後史の一端が見えると言ってもおかしくない場所である。軒先を利用して小さい店が整然と並んでいた。扱うものは全て輸入品。化粧品(レブロンやマックスなんとかやら)を主に、舶来のたばこ(洋モクといった、ウインストン、ケント、ダンヒルなど)、そして菓子類(ハーシーのチョコレート、リグレイのチューインガムなど)だった。そしてもう一つ沖縄ならではの光景が見られた。それは、普通のおばさんが路上で行なっていたドルと円の闇交換。復帰前のドル時代、銀行よりいいレートで交換でき、利用した人は多くいた。

我が家もそうだった。未だにその雰囲気を残しているのはマコトにうれしい、ここはもう時が止まっている。

 道の先には”テンブス那覇”という建物につながる。国際通り、平和通りの名前の由来はいくつかの雑誌やテレビその他で幾度となく語られているので十分承知だと思う。どちらもこの小さな島にとっては似つかない、でかい名称である。それゆえにその由来は忘れかけられている。戦後の沖縄県民に娯楽をと多くの人の労苦の上にできた”アーニーパイル国際劇場”とその後できた”平和劇場”。少なからずともこの二つの施設の影響で生まれた通りの名称であるはずだ

 二つの劇場はその後、国際ショッピングセンターとなり、土産品、本屋、飲食店、ボーリング場等、那覇の名所に生まれ変わった。携帯のないあの頃の待ち合わせ場所は、この国際ショッピングセンターか三越前だった。東京でいえば、渋谷のハチ公前といったところか

 それがいとも簡単に、この由緒ある”国際”の名称が消されることになる。”テンブス那覇”のテンブスとは沖縄の方言でヘソを意味する。ヘソは体の中心、それをもじって那覇の中心という意味でそうしたのか

 この建物を建設中、那覇市役所のある幹部らが酒を飲んでる席に出くわしたことがあった。

一人の幹部がいう。「あそこの名称決めたよ、愛称が”テンブス”にビルの名前は”ニフエーデービル”に」 もう一人の幹部、「えー!初めて聞いたなー、いつ決めた?」

 冗談のような話だが、ワイワイ飲みながら誰かが言った、「よし!”テンブス”にしよう!」

「異議なし、異議なし!」ありそうな話ではないか





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