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  • 執筆者の写真中山 孝一

手術後の日々

 昨年11月28日に受けた食道がんの手術から80日目が経っていたことに気づいた。手術以来生存確認の意味で日誌の端に術後の日数を付け加えていた。しかし、いつしかそんなことも忘れ普通の生活に戻ったようだ、そう惰性の日々に、こうなることは予期していた。それで12月の退院後あることを実行しようと思いついた。それだけはいまだに続いている。

 最近の医療では手術後安静にするよりもなるべく動くことをすすめる。事実、手術の翌日にICU内で早くも歩かされた。病棟に戻っても廊下を歩き回ることを命じられた。

 こちらとしてもそれで早く回復するならキツくとも頑張ろうという気になる。そこでとった退院後の行動とは、とにかく外へ出ること、毎日外での歩行を義務付けた。しかしただの散歩ならその日の気分でいつでもやめることができる。そこでやめることができないもう一つの義務を課した。それを名づけて「リハビリ預金」という。

 家から300メートルほどの距離に某銀行の牧志支店がある。とりあえずこの300メートルを歩くことを目的とする。そしてこの支店でつくった通帳に毎日1000円を入金する。あくまでも1000円だけ、それ以上は入れない。これを日々のルーチンにした。

 やり始めはきつかった。手術あとの傷は痛むし、心臓の不整脈も起こる。少し歩いては休み歩いては休みでなんとか300メートルまで行けるようにした。それを毎日繰り返す。少しづつ足腰の筋力が増していくのがわかってきた。モチベーションはどんどん高まり入金を済ませた後も歩く範囲が広がっていった。いつの間にか1000円だけが連なる通帳は65000円になっていた。65日間毎日通い詰めたことになる。

 1日の歩行に1000円をという発想は健康時には出てこなかっただろう、これも一病息災のご利益といえるだろうか、しかし、リハビリはまだまだ半ばである。この「リハビリ預金」まだこの一年は続きそうである。ところで、この預金の元手はというと、毎日せんべろに行ったつもりで少々の貯金から回していく、健康も得ながら金も得る。一挙両得です。

 その後、徐々に体力が回復してきた今年から新たな行動も始めた。それは、「バスに乗ること」免許返納にはまだ早いが、ここらでバスの乗り方にも慣れた方がいいのではと気づいた。沖縄では手を上げないとバスは止まらないというほどバスより圧倒的に車社会、乗客は少ない割にはバス会社は多く路線も多い、そんな沖縄のバス事情も知りたく、早速「オキカ」を仕入れた。まず市内線、市外線の試乗をして乗り方を知る。後は、とりあえずバス停に停まっているバスに飛び乗る。目的地はない。北か、南か、東か、西か、バスの気のむくままにまかせる。気になったところで降り、その地域を散策してみる。こういう気ままなバスツアーを始めてみたのだ。これがなかなか面白い、これまで車で通過しただけのところでもバスからの景色は違って見えるし、それまでは立ち止まることさえ考えもしなかった土地を歩いてみると、これまでいかに狭量な生き方をしてきたかということに目覚める。これまで気づかなかった奥深い沖縄の歴史と文化が路線バスにより発見できるかもしれない 


 これも怪我の功名というものか、手術前の日々とは違う世界が見えてきた。



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