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  • 中山 孝一

復帰前の修学旅行

 今年は沖縄の本土復帰50周年。復帰っ子が50歳になる。ということは復帰前のことを知っている人がますますいなくなってくる。戦前の語り部がいなくなるように、アメリカ統治下時代の沖縄を語れる人もいなくなる時が次期にやってくる。1952年生まれの僕は復帰の年1972年は二十歳だった。20年間アメリカ世の中にいた。貴重な時代を生きたなーと、思い耽っている時、ふと復帰3年前の1969年の修学旅行を思い出した。誰も信じてくれない、とんでもない修学旅行のことを

 家中のアルバムを広げ、修学旅行の写真を探した。学生服の上にコートを身につけ、気取った高校生が数人、どこかの観光地で撮ったと思われる写真が数枚出てきただけだった。

 その後、とんでもない修学旅行の記憶を鮮明にしたい気持ちが強くなっていった。そこで一緒に行った当時写真部だった、仲里くんを訪ねた。事情を話すとさすが几帳面な彼は、コメント入りの写真がびっしり貼られた数冊のアルバムを持っていた。当時の懐かしい思い出を語った後、これ返さなくてもいいから全部持っていけと、ずしりと重たいアルバムをかついで帰路についた。

 貴重な資料が入った。これを活かさなければと次なる行動を起こす。アルバムの中に、「小禄高校修学旅行 1969年 記念アルバム帳 国際旅行社」と書かれたものがあった。これは我が家にもあった。

 ある記憶が蘇った。旅費の131ドルを国際旅行社で支払ったことを、国際旅行社へ行けば当時の記録があるかもしれないと出向いた。社史等でもあればなんらかの事柄がわかるかもしれないと期待した。窓口の若い社員に事情を話すと、奥から先輩の女性社員を連れてきた。二人とも自分の会社がこんなことをしていたのかと初めて聞いて驚くばかりだった。当時の社長並びに添乗員も天上の人になっていた。

 次に沖縄県立図書館に行った。ここの沖縄県資料室はかなり充実している。ここには間違いなく何かあるだろうと、学芸員の方に事情をはなし、資料を探してもらった。その間、小禄高校の学校史を調べたが、修学旅行に関する記述は一文字もなかった。そして、学芸員が持ってきたものは明治、大正期の沖縄の修学旅行と思われるようなものばかりだった。

 国際旅行社にしても県立図書館でも、僕の意図したものは得られなかった。これはしょうがないこと、どちらも復帰後の人たちで、復帰前の様相がどんなものかイメージできなかったのだろう、それはあたかも戦後っこの僕が戦前をイメージできないことのように

 何故そこまで修学旅行にこだわるのかということだが、復帰前の沖縄の高校生にどういう目的であのような修学旅行を行わせたのか、を知りたかったのだ。1969年といえばベトナム戦争の真っ只中で沖縄からB52爆撃機が毎日のように北爆に向かっていた頃だ、そんな時代にパスポートを抱え、船で鹿児島まで行き、列車で大阪、京都を回り、新幹線で箱根、東京、さらに日光までいき、スキーを体験させ、ひき返して大阪から瀬戸内海を船で大分に渡り、その後阿蘇までバスで、そして鹿児島から船で帰る。

 ほぼ日本縦断を、春休みの18日間費やした旅だった。生まれて初めての雪にふれ、恐る恐る電車に乗り、新幹線から見る富士山に歓喜し、大阪、東京の雑踏に圧倒され、温泉という湯船に初めてつかり、と日本人でありながら初めて触れる日本の文化、しかし、沖縄からすれば日本は海外だった。

 いつ、沖縄が日本に帰れるかわからない時代だった。せめて、修学旅行の機会に日本人であることを認識させようとの思いがこういう修学旅行につながったのではないかと推測したが、、、わからない

 


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