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  • 中山 孝一

密造酒をつくってみた

 こう書くと穏やかではないが、化学の実験をしてみたといえば許せるかもしれない。先日から息子が泡盛をはじめ酒全般までに興味を持ち出し教えを乞うてきた。昔、竜宮通りのママさんたちの為にと作った”酒ができるまで”の簡単な資料で説明したがどうもピンときてないようだった。それなら実際に酒を作ってみよう、ならば分かりが早い。となった。というと密造酒の常習犯と思われそうだが、実はそうなのです。前科者です。

 20数年まえ、酒に関してある疑問を持ち出した。日本の酒は国税が関与して「酒税法」での酒税はわかるが、なぜ酒の製法まで管理されているのか、製造に関しては「酒造法」というものがあってもいいのでは、というハテナ?だらけだった。(このことに関してはいずれ詳しく述べたいと思っております)それで、酒(といってもここでは”どぶろく”)を作って国税の職員に飲ませてみたらどんな反応をするかを見たくて、ちょっと遊んでみたのだ。当時はネットでは調べられないのでいろんな文献を調べて試行錯誤した結果、なんとか”どぶろく”作りは成功した。手作りの”どぶろく”は酵母が生きている。いわゆるシャンパン風になる。炭酸の清々しさに日本酒の味香りが混じり、なんともいえないうまい酒ができる。

 それでは、このシャンパン風”どぶろく”を国税職員に飲んでもらうことにします。さてどんな反応を示すか、前もって「こんなものを作りました。違法とはわかってますが、どうしても作りたかったので・・試飲していただけますか?」と言いました。その国税職員の方ひとくち呑み、こう言いました。 

 「うツ。これはまずい!他には出すな俺だけに出せ!んうまい!」と云う、売ったらまずい、自分だけならいいぞ、こんなうまいもの、ということか。その後は密かに作り続け、販売なしでお客さんと楽しみました。

 銘柄は”小桜特製「密造酒」”と書いたボトルに入れて。

 さて、あれから20数年を経て、今回久しぶりに息子のために(というのはどうやら言い訳同然だが)作ってみた。簡単にいうと、コメのでんぷん質を麹菌で分解して複雑な糖から単純な糖へ変える、これを<糖化>という。次に、この単純な糖へ酵母菌という別な菌をを入れるとアルコールと炭酸に分けてくれる、これを<発酵>という。この工程を実際にやってみるとこうなる。

 まず、家にある米3合を2合分の水で炊く。炊き上がったら別の容器(タッパーでもいい)に移し、その中に冷水を約1ℓ入れる。そうすると熱いご飯が約40度ぐらいになる。そこにリウボウでもマックスバリューにも売っている「みやここうじ」200gをほぐしながら入れる。次にドライイーストを6g(3gを2包)入れ、かき混ぜる。蓋をして室温で3日間寝かせる。その間時々かき混ぜてみたら酵母菌が一生懸命働いているのがわかります。3日ぐらいで発酵はほぼとまるので次へ

 仕上げの瓶詰めへ、まず布を使い漉す。布に残ったものが酒粕になる。濁った液(にごり酒)を瓶に詰めて栓をする。まだ発酵しているので栓が甘いと飛び出るのしっかりと栓をする。詰めた後30分室温に置き、あと冷蔵庫で保管する。

 3日前仕込んだものを本日朝一番瓶詰めをしました。今日は偶然にも34回目の結婚記念日だと気付き一計を案じました。これを本日の祝いの品にしようと、瓶詰めした空瓶にこんなラベルを貼りました。「祝・中山孝一・伊津子結婚34周年記念 密造酒 製造日:1/21 瓶詰日:1/24 製造責任者:なかやまこういち 注:密造酒の飲酒により罰則をうけても当方は一切の責任は負いかねます。」と

 これから「密造酒パーテイー」をやる予定です。そういえば酒のことを知りたいといっていた息子はこの間一回も現れませんでした。

 簡単に美味しい”どぶろく”ができますので是非お試し下さい。


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