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  • 執筆者の写真中山 孝一

向こう三軒両隣り

更新日:5月10日

 今では耳にしなくなった、向こう三軒両隣り。ぼくは5歳までそう云う所に住んでいた。いわゆる長屋である。向かいには小川さん、平口さん、寺島さん、隣には中島さんらがいたのをいまだに覚えている。醤油や砂糖の貸し借りは日常茶飯事、あっちこっちで井戸端会議が開催され、昭和の風景そのもの。貧しくも皆が楽しんでいる光景しか記憶にない。その後、時代は池田首相らが所得倍増計画をすすめ、高度経済成長時代が長く続き、しまいには国民の9割が中流意識を持つようになった。長屋住まいの人々も時流に乗り、郊外に一戸建をたてたり、街の真ん中にマンションを買ったり、と、運命共同体はついに解散した。


 その後、日本の住宅事情はますます進化(?)して、特にマンション文化は郊外でも街中でも花開き、都会では天にのびゆくタワーマンションというものが乱立している。我が家も長年同じマンションに住んでいる。が、購入した時は露程も思わなかった老朽化という問題がでてきた。先日、マンションの総会でこの問題が話し合われた。が、同じ屋根の下の住民にはそれぞれの思惑がある。問題の解決は一筋縄ではいかないようで、向こう三軒両隣りの井戸端会議でシャンシャンと片付く気配ではなかった。「とかくに人の世はすみにくい。」とはこのことか。


 「人の世を作ったものは神でも鬼でもない、向こう三軒両隣りにちらちらいるただの人である。住みにくいからといって他所に行けば、そこは人でなしの国、人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」と漱石はいう。更に「何処へ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、絵ができる。」と、そこまで高尚ではないのが凡人の辛いところ、が、こういう言葉もある。「すめばみやこ」 凡人らしく生きるしかないようだ。

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