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執筆者の写真中山 孝一

令和元年5月1日

 元号の変わり目がいつだったかを覚えている人は意外と少ないのでは、昭和から平成へは1月8日で前日の7日に昭和天皇が亡くなり翌日に平成が発表された。平成の世は30年続き令和への移行は生前での引き継ぎなのでゆとりがあった。が、5月1日は大型連休の真只中で全国民遊ぶのに夢中、この日に新元号スタートさせても誰も覚えるはずはないだろうと思うが・・・

 

 この変わり目の年に何かやろうと思いついたのが”タイムカプセル”だった。「平成の思い出とともに、自分の将来の姿を思い浮かべながら」との趣旨のもと参加者を募った。老若男女が写真や想いおもいのの平成グッズ、自分の将来へ向けた手紙及び決意文等を持ち寄った。それらを、”タイムカプセル”に詰め込み、小桜の二階の押入れの奥にしまいこんだ。本来なら大きな樹木の下に埋め込んだりするが、小桜自体が”タイムカプセル”のようなもの、その中に入れると”タイムカプセル・イン・タイムカプセル”になる。結果これにした。それが5月1日だった。その日は大雨だった。開封は10年後の令和11年4月30日とした。


 当初少なくとも20年は開かずにおこうと思った。が、20年だと小桜の存続とぼくの生存の保証がないので10年後の開封にした。これは正解だった。その後小桜の契約期限が決まったり、ぼくの大病が見つかったりして10年の保存も危うくなった。いつの間にか開封は5年後に迫った。

 

 この令和元年5月1日はぼくにとっても区切りの日であった。この日をもって、小桜での最後の仕事「沖縄一無愛想なドアマン」(2019.5/7)を退いた。文字通りぶすっとした素振りに似合わぬ蝶ネクタイをはめ、物言わぬ地蔵と決め込みただ突っ立っていた。5月1日をもって引退した。今振り返ると、その次の日から小桜は急に繁盛しだしたように見えたが、気のせいだろうか。

 

 

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