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  • 執筆者の写真中山 孝一

ポラロイド写真のその後

 昨年の12月に退院してすぐに取り組んだのが家の改造だった。病人の部屋を作らなきゃいけない、一番必要とされた電動ベッドはすでに準備されていた。(介護用ではない、なんでも寝る時は上半身を30度上げなければならないらしく仕方なく購入した)そして、家内と相談の上この際だからと各部屋も手を加え気分を一新にした。更に、諸々の整理をした。終活のためではない、あくまでも断捨離のつもりだ。本をどさっと処分した。サイズが合わなくなった衣類(12キロの減量でベルトが3穴縮んだ、BMIははじめて標準値に)も処分した。その他長年大事に置いといたものなども大量にあったが思い切ってお別れをした。

 その中でどうしても処分できないものがあった。大事な宝物の一つだ。1997年から2008年までの12年間小桜で撮り続けたポラロイドの写真たち、約4000枚強ある。

 令和元年に小桜の代を長男の亮に継いだのと店の改造もあって、柱にも天井にも、そして壁という壁に隙間なく張り付けられていたポラロイド写真を剥がし始めた。長年の風雨ならぬ、油と人熱れを吸い込んだ写真一枚一枚は厚みを増しいい油汚れの色になっていた。これを全て元通りにきれいに磨いてやろうと意気込んだ。確かにそのつもりだった。

 

 この剥し作業を半年かけて少しづつ行った。それぞれに思い出が刻まれている、あわてることはない、と思ったが年内で終わらせる予定の作業がいつの間にか12月を迎えていた。写真全てにラミネートを施したもののこびりついた油を改めてみるとぞっとした。この汚れ簡単には落ちそうもない、当初の意気込みは萎えた。どれ程の時間と労力がいるか考えると夜も眠れなかった。

 ところが、ある朝突然閃いた、日頃キッチンの油汚れに使う炭酸ソーダを浴槽で溶かしてその中に写真を全て浸してみたらどうなるか、結果は正解だった。表面のあぶらと汚れが溶け出し浴槽がまっくろになった。それを一枚一枚丁寧にふきとると鮮やかな写真にもどった。わずか3日間の作業で事なきを得た。2019年暮れの大逆転劇だった。その後は数々の思い出を刻んだ一枚一枚を感慨にふけりながら見入り年代別に段ボール箱に収めていった。

  

 ポラロイド写真をはじめたきっかけはこのブログの3回目(2016年)に「酔顔」と題してアップされている。その後以下のように付け足した。

 「小桜の壁を埋め尽くしたポラロイド写真「酔顔」は平成31年の平成最後の年にその役目を終え全てを剥がすことにした。決して処分ではなく、12年間の垢をとりさり綺麗な写真にする。そして新たな形で披露しようと思っている。どのような形が望ましいか思案中である。みんなの思い出が詰まった一枚一枚である。決しておろそかにしてはいけないと思っている。」 と

 

 小桜の歴史68年間のうちの12年間のひとつの時の記録であり記憶である。それぞれの写真の背景をみてもその時代の流れを感じ取ることができる。

 4000枚の写真のなかには1万を超える顔がある。すべて「よいかお(酔顔)」である。いつの日かみんなが集って同窓会などできたらと思うとわくわくする。

 そんな果てしない夢をみながら大切に大切に保管しておきます。 

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