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  • 中山 孝一

ぼくと泡盛 9

 平成8年9月2日の琉球新報に「竜宮通りが泡盛村へ」という記事が出た。今から24年前にのことだ。

 その経緯は、泡盛の知名度をなんとか上げたい気持ちが強くなり、あれこれ模索していた頃、ふと湧いたアイデアだった。そうだ!「竜宮通り」を「泡盛村」というイメージで泡盛を発信できないか、それがうまくいけば、竜宮通りの活性化にもなり一石二鳥だと

 そして動いた。当時竜宮通りは49軒の店があった。各店舗と47の酒造所とうまくマッチングさせれば面白い展開ができるのではと思い実現に向けて更にアイデアを思い巡らせた。はじめに取り組んだことは、竜宮通りのママさんたちがどれだけ泡盛のことを知っているかを、知ることだった。竜宮通りの店はほとんどが復帰前から続く老舗飲屋街といわれてもいいところだ。まさにウイスキー全盛時代を通り抜けた経営者ばかりだ、時代は泡盛に変わりつつあっても泡盛のことをどれだけ知っているかはかなり怪しい、それでアンケートをとってみた。

 その項目は 1.店でどんな酒類が一番売れるか 2.泡盛はどこが一番売れる銘柄か、その後泡盛についての質問がこう続く、1.泡盛の原料知っているか? 2.泡盛の名前の由来? 3.いつ頃から泡盛はあるのか? 4.泡盛と日本酒、焼酎、ウイスキーの違いは? 5.古酒とは?

 結果は予想通り、酒類はオリオンビールが断トツで次に泡盛、ウイスキーはわずかな愛好者が残っているようだが復帰前の様相から逆転していたことがわかった。泡盛の銘柄も予想通り、久米仙、菊の露、瑞泉、瑞穂、当時流行りの樫樽貯蔵もの、奴樽蔵(やったるぞう)、くら等だった。そして肝心の泡盛についての質問はというと、これも予想通りだった。答えは、”ほとんど知らなーい”

 昔こういう夢を見た。

イギリスを旅行中、ある地方の片田舎で小さなパブを見つけた。重いドアを押しあけると、でっぷり太った中年のママさんが一人いる。僕は言った「うまいウイスキーが飲みたいでーす!」と、ママさんがいった「お兄さん、どっから来たか知らんがこの棚見てごらん、みんな世界で一番うまい酒さ!」と、地元のモルトウイスキーをすすめられた。その後はこの酒の飲み方から製法、歴史、更にこの酒にまつわるエピソード等を延々と語り始めた。そして、この夢のあとはモルトウイスキーにハマっていた。

 この夢を、泡盛で再現しようと思った。竜宮通りのママさんたちにはぴったりイメージだった。でっぷり太ったは余計だが・・・

 戦後の沖縄に力強い潤いを与えた女性たちが語る泡盛の魅力は、何よりにも勝る発信力があるだろう。激動を乗り越えたママさんたちにはウイスキーの時代から泡盛の時代へ移行することはたやすいことだろう

 おそらく泡盛のことを知れば知るほど、泡盛が祖先から賜った地元の誇るべき産物だと知った時、その発信力を遺憾無く発揮するに違いないと期待を込めた。

 竜宮通りのママさんたちが、アンケートによって、泡盛についてよくわからないことを知ったことで次のステップに進んだ。わからなければわかるようにすればいいのだ。

 勉強会を開いた。泡盛にとどまらず、竜宮通りを沖縄文化の発信基地にしようと考えた。

老舗飲屋街のママさんたちの当時の平均年齢は60代後半、学校もろくに出てない人も多くいた。生きるために止むに止まれぬこの商売を始めた人がほとんどだった。そこからのお勉強である。がとにかく踏み出した。月に一回小桜の二階に集まった。

                                  つづく


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ぼくと泡盛 10

「竜宮通りが泡盛村へ」の記事は結構な反響があった。しかし竜宮通りのママさんたちはそれより日々の売り上げが大事、今更泡盛のことを勉強しても、と毎月の勉強会には参加してくれるがなかなか身が入らない様子だった。確かに学校の授業と一緒でお話しを聞くだけでは楽しくもなく、泡盛がどうやってできるのか、その歴史なんてのはイメージが湧くはずがない、お話ししていただいた方々はどの方も業界の第一人者だが、ママさんたち

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