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  • 中山 孝一

ぼくと泡盛 4

 前回書いた、津嘉山酒造の「国華」について話そうと思います。この酒が入手困難だった、という話ですが、この蔵元は名護の中心街の住宅地に構えるでっかい赤瓦の建物、その姿は周囲を圧倒する。よく戦禍を逃がれ残ったものだ。この酒造を初めて訪ねた時のこと、玄関口でなんども「ごめんください!」と叫んだが、何の返答もない、えーい、いいか!と勝手に玄関の固い開き戸を無理やり開けて入っていった。

 酒造所巡りの目的は、昔ながらの製法を続けている蔵を見つけることだった。要は「洗米ー蒸すー製こうじーもろみー蒸留」という工程を全て人の手でやっているところを探していたのである。津嘉山酒造はその期待が持てた。床は建てた時からそのままと思われるほどの凸凹で、昔ながらのレンガ積みの蒸留器がある。ワクワクしながら奥へ進んだ、暗い部屋に無造作に甕がおかれている間をさらに進んだ。次の瞬間、期待は見事に裏切られた。一番奥の部屋にあった!「自動製麹機」なるものが。この機械に洗った米を入れ、黒麹菌をまいてドラムを回すと”こうじ”が文字通り自動でできる。カチャイやマジンやテイーミという昔ながらの手作業をみられるという期待が吹っ飛んだ。

 それはそうだろうな、今は琉球王国時代ではない、物事何でも合理化の社会だ、と納得した。

 勝手に工場内の見学を終え、帰る前にもう一度「ごめんください!」と叫んだみた。すると奥から、かすれた小さい声で「はーい」と返事があった。ゆっくり出てきたのはかなりのご老人で、工場の奥が自宅になっていた。主の「瑞慶村さん」だった。勝手に入った失礼を丁寧に詫びたあと、幸いにも瑞慶村さんとしばしのユンタクの時間が設けられた。

 記憶が正しければ、瑞慶村さんの奥さんのお兄さんがこの津嘉山酒蔵の当主だった。その当主が戦死され、その後は操業と休業を繰り返していたとのことだった。訪ねた頃は何回か目かの休業中だったようだ。

 そんな休業中のある日、「ここで私に酒を作らせてください!」いう青年が現れたそうだ。聞くと、琉大の醸造科を出て瑞泉酒造の研究室にいたという「宮城くん」という青年。あまりに熱心に願うので、瑞慶村さんは承諾、勝手にやらせた。しかしこの宮城くん、真面目で研究熱心なのはいいが、酒を作って売るという発想がない、何度も仕事を中断しては国税の主任鑑定官に教えを請いに、那覇に出向いたそうだ。瑞慶村さんはそれを強くぼやいていた。

 名護に行くたびに津嘉山酒造を寄ったが、酒はなかなかできてこない。更にこういうことがあった。一緒に作業をしているパートナーが米を運ぶ際ぎっくり越しになり、今一人だというのである。またまた延びることになった。それを聞いて思わず叫んだ、「俺が手伝おうか!」と

 そんなこんなで時は過ぎ、忘れかけていたある日、宮城くんからの電話がきた。「中山さん、やっとできました!今日初の瓶詰めでした。一報を中山さんにと」「すぐ行く!」すぐさま名護へ飛んで行った。

 はやる気持ちを抑えて津嘉山酒造についた。しかし、完成の一升瓶を見て大きく打ちひしがれた。目にしたものはイメージしていた庶民の泡盛ではなく、上流階級御用達かと見紛う、高級感漂う上等な代物だった。見たこともない化粧箱に入っていた。しかも古酒でもない25度のものが価格5千円である。「宮城くん、これは?」と聞きたいところをおさえた。

 事情は薄々知っていた。休業の酒造所を再開するには当然資金が必要になる。それを工面したのが大手の卸問屋儀間本店(後にジーマとなる)よって、儀間本店のオリジナル贈答用高級泡盛が誕生したのである。

 事情はどうあれ、宮城くん苦心の「国華」はできた。これまでの苦労をねぎらい、6本の「国華」を購入した。帰り道、宮城くんの言葉を思い出した。「瓶詰めではなく、甕に入れた古酒を売るのが夢なんです。」と

 あれから29年、先日その高級泡盛を調べたら存在していた。価格が一本で2万5千5百円になっていた。

 宮城くんの夢は甕ではなかったが、瓶の中でしっかり熟成されていたようだ。


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