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  • 中山 孝一

おしっことの戦い

更新日:9月19日

 小学3年生の時、授業中におもらしをした。当時は授業中に「便所行きたーい」と先生に言う勇気のある子はまずいなかった。ご多分にもれずやってしまった。イスの下から少しづつ液体は漏れだした。少しづつというのは必死にこらえていたのだ、ゆっくり落とし靴で広げればそのうち乾くだろう、幸いにも教室には夏の陽射しが入り込んでいる。洗濯指数は100%だ。と、小さい頭をフル回転させた。冷や汗をかきながらの最後の一滴までの絞り出し作戦は成功かと思われた。


 しかし問題はこの後だった。ズボン、パンツはびしょびしょだ、席を立つことができない、休み時間になると男子は全員運動場へかけこみドッジボールをする。いつもだと真っ先に出るタイプだ、隣の女の子が言う、「なんでー、今日は?」、ぼくは苦し紛れに答える「昨日おとうちゃんからの宿題があってよー」と、とっさに国語の練習帳に漢字を書き出した。我ながらこの機転には感心した。まっ日頃から字の汚さをしつこく指摘するオヤジに対していつか見返そうと思っていたことは確かだが、まさかこんな日に…

 

 ところがである。このでまかせでやった漢字練習がことの他面白くてはまってしまい、次の授業が終わっても休み時間には席を立たず、いつのまにか下校時間になっていた。イスの下はすっかり乾き、ズボンもパンツも何事もなき様な元の姿になり、誰にも知られずじまいで事は済んだ。

 

 ところでこの一件には大きなおまけがついた。練習帳に無我夢中で書いた漢字はびっしりと数ページにわたり、それを見てはじめて心底からくる感動を自ら覚えた。やればできる。と、その後すぐの夏休みでも漢字練習は続き、何時しか誰もが認めるきれいな字を書く少年に生まれ変わっていた。もちろん、オヤジを唸らせたことはいうまでもない。おしっこが生んだ一生忘れぬ珍事だった。

 

 あれから60年経った。当時必死にガマンしていたおしっこを今は「もっと出ろもっと出ろ!」と叫んでいる自分がいる。病室で点滴棒をひっぱりながら30分おきにトイレに行く。

 ところで、ご自分のおしっこがどのくらい出てるかわかるでしょうか、大体皆一緒でしょうが、どひゃーと出ると400ml、300ml、ちょっとトイレというので200ml、残尿感で50~100mlというとこか、今回入院時にいきなりやらされたのが24時間のおしっこの測定だった。2460mlでた。その後もずっとおしっこする度に尿瓶に入れてその目盛りを記録している。

 

 何故か?抗がん剤投与が始まりすぐ受けるダメージが腎臓の機能低下というのだ、他にもたくさんの副作用があるが、腎臓はてきめんに表れるのでかなり神経を使っているようだ、よっておしっこをどんどん出るようにあの手この手を使う、水分の点滴、利尿剤の注入、好きなコーヒーもいくらでも飲んでいいよと言われるがいくら好きでも…

 そういうわけで、60年ぶりの「おしっことの戦い」が始まったわけだが、今回もこの戦いに勝った暁には更にでかいおまけがくるのではとの期待をもって臨んでいる。

 

 と言うとこで、もようして来たのでトイレに行って参ります。

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