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執筆者の写真中山 孝一

「父の詫び状」

 本屋で「父の詫び状」というタイトルが目に入り即座に購入した。これまでの父(自分)としてのふるまいをどう反省し、どう詫びたらいいのか参考にしようと思ったのでは決してない。1970年代、「7人の孫」や「時間ですよ」「寺内寛太郎一家」等のドラマをヒットさせた向田邦子のエッセイだ。向田邦子は台湾旅行の際に飛行機事故で51歳の若さで亡くなった。

 「父の詫び状」は、明治生まれの向田の父の話だ。どうにも崩れない頑固で威張り屋の父が娘に迷惑をかけたことに詫びを入れたい、が、日頃の対面をつぶすわけにはいかないのが明治男、そこで手紙をしたため、詫びともつかない一行をいれるだけでメンツをたもたせることにした。父の性格からその一行が「父の詫び状」と向田は読み取った。


 大正生まれの我が父も頑固一徹の体を崩さなかった。家では常に苦虫をかみつぶしたような顔で僕らの前ではけっして笑わなかった、ところが、外での評判は「面白いお父さんだよね、」と皆が言う。が、「どこが?」と首をかしげるしかない。そんな父と戦後生まれの僕が合うはずがなく、小さい時から長い間、お互い遠慮しながら二言三言の会話しか交わしてなかった。おそらく僕もその時点で父の頑固さを引き継いでいたかもしれない。その後、父も孫が一人二人と増えるたびに柔らかくなり好好爺となっていった。

 ところが、僕らの父子関係はなかなか好転する機会はなく、お互い酒好きにも関わらず共に酌み交わすことなどほとんどなかった。が、晩年になり少しの酒を嬉しそうに飲む姿をみて、時々はお付き合いをした。が、やはり話は弾まなかった。

 いまとなっては叶わぬことだが、父の大正時代での生活、昭和の青春時代、そして小桜誕生の秘話などなど聞いとけばよかったことがたくさんある。素直に聞かなかったことに詫びをいれたい心境である。今日は「父の日」、仏壇の父に「父への詫び状」との気持ちで一献傾けたいと思う。


 

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