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みそぴー

web shopはじめました。

February 22, 2019

 次男が小学生の頃、僕にこう聞いた。「お父さん、コーヒーミルに砂糖を入れたら、わたあめにならない?」と、一瞬どう返事していいものかとまどった、が、面白い考えだね、とだけ返した。我が家では、毎朝コーヒー豆を電動ミルで挽いて、コーヒーを飲む習慣がある。無論夫婦だけ、それを見ての発想だろう、その後、こういった、「面白い、試してみようか、」と

 

 ことは始まった。

コーヒーミルにザラメを入れ、電源を入れた。いっこうにわたあめにはならなかった。なぜか?次にとった行動は早かった。長男も参加しての「わたあめ作り」の本格的な実験が始まった。その当時、初めてパソコンを購入して、インターネットへの接続もなんとか完了していた。今思うと実にいいタイミングだった。

 まず、インターネットで「綿菓子作り」という項目で検索をしてみた。電話回線での接続しかない時代なので、遅いのなんて、画像が上の方からゆっくり降り始める、それが何回も繰り返されてイライラしながらも、やっと「綿菓子作り」の概要が掴めた。

 要は砂糖に熱を与え、結晶化したところを拾い集めるという原理を知った。実験道具としてまず、缶ビールの空き缶、これはいくらでもある。次にモーターと電池、その頃、男の子が夢中になっていたのが、ミニ四駆という車のおもちゃ、モーターと電池はつきものだ、これも揃った。

 そして、肝心なのが火元、以前サイホンでコーヒーを飲んでいたことを思い出し、押入れのアルコールランプを引っ張り出した。

 ここからいよいよ実験が始まる。缶ビールの底に慎重に穴を開ける。真ん中に開けないと回転にブレが生じる。これは何回もくりかえした(おかげでビールがいっぱい飲めた。)、それができたら、缶にザラメを入れ、底を温めながらモーターで回転を加える。するとザラメがわた状になって出てくる。そこを割り箸ですくい取る。ってな具合でわたあめはできる。

 簡単じゃないかと、3人は完成したイメージだけで満足していた。が、とんでもなく難しいことだということを知った。何度も試みた、家中失敗のザラメが飛び散り、あっちこっちムチャムチャの状態で、家中の反感をかった。しかし3人は諦めなかった。

 ある日曜日、皆で公園に遊びに行った時、綿菓子屋さんを見つけた。3人はすぐさまそこに

駆けつけた。「いらっしゃい!」というおじさんを無視して、わたあめ機の構造をくまなく観察した。わたあめは買...

February 13, 2019

 今やっているNHK朝の連続ドラマのテーマである。我々夫婦の日課の一つがこれを見ること

振り返ると、2009年だからちょうど10年前から、まず、「ウエルカメ」「ゲゲゲの女房」「てっぱん」「おひさま」「カーネーション」「梅ちゃん先生」「純と愛」「あまちゃん」「ごちそうさん」「花子とアン」「マッサン」「まれ」「あさが来た」「とと姉ちゃん」「べっぴんさん」「ひよっこ」「わろてんか」「半分、青い」、についでの、まんぷくになる。これまで19作を全て見たことになる。

 昔から、老後の楽しみは、この連続ドラマを観ることになるよ、と言われてきた、確かに僕の父母もあの大ヒット作、「おしん」を、その時だけは仲良く見ていた記憶がある。 

 いよいよそういう年になったのかとしみじみ思う今日この頃だが、今日のテーマはそうではない、このまんぷくの話だ、

 かいつまんで内容をいうと、主人公はカップヌードルやチキンラーメンを発明した、安藤百福氏の自伝、この画期的な食品を生み出した人間の成功物語だ。このドラマは始まる前から密かに期待していた。というのは、60年前、僕が6歳だった時チキンラーメンは誕生した。その後しばらくして兵庫の親戚から送られて来た小包の中身がこのチキンラーメンだったのである。沖縄でこのチキンラーメンを食べたのは僕が初めてである。という確信がある。

 小学校低学年の僕が一口食べて驚いた。こんな美味しいものがこの世にあるものだろうか、という感動を、10歳にも満たない僕がえた。今日、放映されたものは、長い試作の果てに即席ラーメンが完成し、それを試食した全員が、うまい、といった。それはまさにその当時の僕の姿だった。こういうエピソードにも加え、この番組に興味を感じたのは、安藤百福の着眼である。今、スーパーやコンビニに行けば当たり前のように即席麺は棚を幾重にも覆っている。しかし、麺に味付けされ、お湯を注げばラーメンになるというのは日清の製品だけである。

 あの時、ドラマにあるような幾多の困難を乗り越えなければ、この商品はこの世には出ていない。今日、世界中に隆盛を誇るカップ麺の世界は、ここからスタートした。

 この世に、今現存しているのは全てのものは、それを思いつき、作り出した人間が、最後まで諦めないでやり通したものだけが残った。と言っても過言ではない気がする。あの時、もうだめだ、とか、これは無理だ、とか、絶...

February 7, 2019

 小さい頃から母親に、「また余計なことして!」とよく怒られた。余計なこととは、差し出がましいこと、別にやらなくてもいいこと、善かれてと思ってやってしまったものが、実は全くそうでは無かった。ということで、ほとんど良い意味では捉えられてないのである。おまけに、「余計なことはやめなさい」というビジネス本まで出ている。

 確かに、余計なことは、あくまでも余計なことだから、無駄なこと、これを除けばもっといいことがスムーズにことは運ぶし、余計な一言を言って、大きな痛手を食わなくても済むだろう

 余計なことばかりしていた僕はあまり効率よく生きてないかもしれない

しかし、ここではたと考えた。余計なことは本当に悪いことなのか、別に自己弁護するわけではないが、視点を変えれば余計なことも、生かされるのではないかと考えた。稼業である飲食店で考えてみた。飲食店は飲み物や食べ物をお客様に提供して、その対価をいただく、いわゆる等価交換というものだが、この価値を当たり前のごとく交換していての満足度はどんなものかを考えたことがあった。当たり前のことは当たり前だから、みんな当然のごとく受け入れる。だからここで余計なことはしないし、余計なことは考えない、余計なことも言わない

 

 しかし、反骨グセのある僕はここで余計なことを考える。やらなくてもいいことをふんだんに行う。余計なことを積極的に行うことは難儀が伴う、さらに余計なことはリスクを伴う、失敗すれば、「また余計なことをして!」と非難の的だ

 当たり前の商売をやっていれば多少うまくいくはずであるが、それでは面白くない。だからちょっと考えた。それもありきたりのものではなく、面白いと思うものをだ。

 まず、こう考えた。お客が得る価値=店が提供する価値、これは等価交換

これをこうする、お客が得る価値>店が提供する価値、これは不等価交換になる。これだとお客が思っている以上の満足が得られる。これはお客に対して余計なことをすること、少々プラスになる価値をつけること、それは満足のある余計な価値でなくてはならない。

 そこでやったことは

 ①お客さんの顔を一人一人ポラロイドで撮影した。その後は数人の撮影になったが、その数4千枚以上になった。ポラのフイルムは一枚200円になる。計80万以上の余計なことをした。(酔顔参照)、②全国のお客さんに、お国自慢を地図に書いてもらったら手作りのガイドブ...

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