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みそぴー

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November 17, 2018

 今から11年前の12月2日、那覇マラソンを走った。55歳だった。

その前年に開催された12月3日の日誌にこうある。来年は応援する側からされる側にと決意する。と、その翌日から死闘が始まった。翌日の12月4日には 初日、とぎれないよう頑張ろう、とある。それで2キロ走った。場所は奥武山公園のジョギングコース

 そもそも何故無謀にも54歳からマラソンのフル、42.195キロを走ろうと思ったか、これにはいくつかの経緯がある、この数年毎年小桜のランナーたちを国際通りで応援していた。その前日から前夜祭と称して多くのランナーが小桜で完走を期して派手に飲む、そして応援旗にそれぞれの決意を書き込み、それを僕ら応援団がその応援旗をかざして応援するということが毎年続いた。

 ある日、ランナーの一人が、「大将、応援するより走った方が楽しいよ、」という、冗談を、この年で、ボール競技は器用な面、野球、バスケット、バレー、卓球、テニスなどは得意な方だった、が、、マラソンと聞くともうダメ、小さいときかかった喘息がトラウマで長距離走と聞いただけで発作が起こりそうになる。中学入ってすぐの体育の時間がいきなりマラソンだった。といっても、外周150メートルほどの空き地を何周も走らさられただけだが、いつ発作が出るか気が気ではなく、だましだまし走った記憶が未だに忘れない、さらに高校では校内マラソン大会というのがあった。全校の男女全員走る。男子は10キロだ、恐ろしかった。

 その時は、入学してすぐ仲良くなった、オヤドマリ君という、バレー部で背は小さいが恐ろしくバネがあり、ジャンプさせればピカイチだった彼に、伴走をお願いした。人のいい彼は快く引き受けてくれた。それが一年生の時、そして二年生の時もやってくれた。3年生ではいわゆるサボりで逃れた。そのオヤドマリ君は病気で20代で亡くなった。

 話を戻そう。走った方が楽しいよ、というランナーが囁いた一緒に走ろう、という言葉が気になりだした時、出会いがあった。その後運命を変える人、梶山さんだ(人生は54歳から始まるを参考に)その年、2006年体重が劇的に7キロ落ちた。人は軽くなると走りたくなるんだ、ということを実感した。それから全ての事柄を明年の那覇マラソンに絞った。まず綿密に記録の残そうと、一年間のスケジュール表を作った。エクセルに月日、その日に走った距離、毎日の累計、月の平均と...

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