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みそぴー

web shopはじめました。

September 27, 2016

  小桜を入るとすぐ真上に額がある。そこに書かれているのが「和気満堂」

書いた人は川上南詠、本名川上 栄、小桜創業者中山重則の同級生である。氏は鹿児島大学の教授で日展書道の部の審査委員もされているとか、重則が生きているときだからもう30年以上前川上さんが沖縄に立ち寄られた、父重則はその数日前から大はしゃぎをしていた。僕のライバルが来ると、小さい頃からお互いを知りともに勉学好きでライバル関係だったそうだが、あの当時進学は誰もができない、まわりの援助で進学が決まったのが川上氏だったそうだ。それにしてもここまでの地位を確保されたのは郷里の期待に応えるべき相当な努力をされたのであろう、残された父重則もライバルでありながらずっと応援していたのを聞くとあっぱれだと思わざるをえない。さてその「和気満堂」の額だが、来沖のとき小桜の二階で氏を招いての小宴を開いた、その際父がお願いをして書いていただいたものである。

 「和やかな雰囲気が充満するお堂」と約していいものかわからないが、なんとなくそうとらえた。小桜がこれからもっとお客さんが喜んで集うところになるようにとの思いで書かれたのではないかと自分なりに理解した。いろんな人が集まる酒場はその器が生きているように感じられるときがある。無機質の単なる建物が息をしているようなことが・・・多くの人がその場で話し、笑い、泣き、たまには怒る。そういう人の行動を全て吸い取りそれがどんどん肥大していく、それは人の気が蓄積されたような感じがするのである。もし科学的にいって間違いなければ、気とは微生物ではないかと、それがいい菌か、悪い菌かによって、その店の雰囲気が変わり、人が集まる店とそうでないとこと分かれるといえば言い過ぎか・・・もっと言えば集まる人は細胞のようなものでもある。人間の体は細胞が新陳代謝をはかりどんどん新しい細胞によって形成される。店もこの新陳代謝がないといつか無くなっていく、限られた許容範囲では細胞の入れ替えがないと古い細胞だけではさびれてしまう、この新陳代謝人間の細胞と同じく自然となされる。自然とうまくいくものである。古いお客さんはいつかいなくなる。そして新しいお客さんがきだす。その時のスイッチ入れ替えのタイミングは重要である。それは店を運営する側の力量が問われるところである。古い客にエネルギーをそそぐのか、それとも新しい方にか、で店の成り...

September 14, 2016

この街

この街に来てやがて57年たった、わけもわからず沖縄と尼崎との行ったり来たりの日々は5歳のとき、何回かその行き来を終え、落ち着いた先がこの小桜だった、生活の場はカウンター奥にある3畳ほどの小上がり、本来ならお客用に使っていたものをとりあえずとどのぐらい住んだのか忘れた、板場が二人か、女給が何人かがいて毎日忙しくしていた、あの時はまだ戦後の復興途中のインフラ整備のため内地から多くの土木作業員とか地元の公務員が多く、最初はぽつぽつだった飲食店も、飲食街に、奥の、(今では桜坂という名で通っているが当時はまだ名はない、)通りもバーやキャバレー、サロン等がぼちぼち生まれだしいつのまにか沖縄最大の繁華街になった、5歳の僕は夕方店の準備に追われてる従業員をじーっと見ながら友達もいないのでいつも暇を持て余していた、たまに板場がキャッチボールの相手してくれたりしていた、今でも忘れない衝撃的なものを見た、店の向いは沖縄で一番大きな洋画館のグランドオリオン、大きな壁が立ちはだかっていた。その裏口だから映画が終わればがばーっと人が流れ出す、その壁に一番上の階まで続く長い階段があって、僕等は怖くてその階段には登れない、何故か、そこは外人の行き来する場所、慣れない外人は怖いものだった、ある日映画の切れ間だろうか3~4人の外人が一番上の踊り場から電柱の上に立ち何やらコインらしきものを下に投げつけている、それを下にいる数人の子供たちが取り合いをしている。外人が次はこれと言って大きく手を振り上げると下の子供たちが歓声を上げる。落とすたびに金額が違うのである、額が大きいと歓声が上がる。僕はこの一部始終を店のドアに隠れながら見ていた。

 どうしてこの光景が57年たった今でも鮮明に覚えているのだろうか、この光景が僕にもたらしたものは何だろうか、おそらくそれは、人に対しての関係性を慎重に立ち向かう性格になった初めかもしれない、この街に育ち、いろんなものが生まれるところから消えていくものまで見続けて、結局それは時代の流れに翻弄されている人間が大勢いて、人間の変化がもたらした社会になったものが現在続いている。

 若いときは焦る。これでいいかと自答する。今世の中についていかないと遅れてしまう、と、そして空回りの動きをする。焦るから、其処で思う、焦って何をしようとしてるんだと、そう思ったとき開き直る、元々自分には何...

September 13, 2016

 1955年創業の小桜は今年2015年で60年を迎えた。

創業者は父中山重則、当時42歳、当時父は大阪の船会社の貨物船で機関長の職で東南アジアを行き来していた。たまたま沖縄に寄港したとき、田舎の親戚が営む料理屋を訪ねたときこう言われたそうだ。「この店の帳場をやらないか」と、これが私たち一家の運命を変えた。それからほどなくして「小桜」を開業した。その頃僕と母フミエ、姉加代子は、尼崎杭瀬の長屋で楽しく暮らしていた。あえて楽しくというのは当時昭和30年、戦後10年で皆の暮らしはまだまだゆたかと言うには程遠いものだった、しかし皆きらきらしていたように思えた。3歳の僕はでもそのように感じた。いわゆる運命共同体というのかお互いが助け合い励ましあいながら将来への夢を見ながら逞しく生きていた。それがとても楽しかったのである。今振り返ってもそう思う。心がゆたかであったと思う。

 

 そんな時にいきなり沖縄から移住の知らせ、沖縄はまだアメリカの統治下だったので簡単には行けない、何度も手続きで神戸港と那覇港を確か浮島丸とか沖縄丸とかの3千トンぐらいの船で行き来した記憶がある。最初に一家が落ち着いた先が小桜の一番奥の3畳間の小上り、カウンターのすぐ横なので酔っ払いの声が丸聞こえ、しまいに僕は泣き出す。そんなときは女給さんらが、泣いたら交番所のおまわりさんが来るよ、と脅かされて泣き止んだそうだ、その後家を転々とした、どの家も小さく、水は井戸を汲み便所は外で隣近所共同といういかにも貧しい生活ぶりだ、しかしここでも尼崎と同じく貧しくとも皆輝いていた。

 そういう時代の中でも小桜は毎日が忙しかったように思う、それは戦後復興のインフラ整備のため本土からの人たちがあふれ、さして繁華街もない那覇では貴重な店の一つだったのである。あの当時は地元の人は外での飲食は贅沢で、もっぱら自宅で家庭料理の代表、チャンプルーとかアメリカ世になったおかげで手に入る缶詰類、ポークランチョンミート、キャンベルのスープシリーズ、コンビーフ、鷲ミルク、等々、とかが溢れかえり沖縄の食文化が一気に変わっていた時だ。外での飲食はどちらかというと日本食、和食が中心だった、寿司に天麩羅、煮物や焼き物、小桜でも和食を修行した板前が何人かいた。当時は割烹「小桜」といっていた。ガスも電気も水道も完全には整備されていない時代によくやったものだと今思う、寿...

September 1, 2016

 肉体改造を試みる。おおげさだが単なる何回か目のダイエット、いつも失敗してきた試みに今回かは本気で取り組もうと思った。この年になりこれからの事を考えると次いつ本気になるかわからないし、なってもこれ以上気力は起こらないと思うと今しかチャンスはない、この数年何回かは試みてはいるけど成果はでない、というか出る前に諦めている。これがいけないと最近思った。今回は4月の後半から初め現在6/23で二ヶ月、普通筋肉の変化はこの辺りで出るというが僕の場合はどうも違うみたいだ、脂肪の分解、燃焼のメカニズムをネットやら本やらで見てもしっかりとした筋トレを続けると二ヶ月では明らかに体型が変化するとある、それが起こらないのは何故なのか、方法もチェックしているので間違いはないと思う、体質の問題からもっと時間を要するのだろうか、だから今これで諦めてやめると、又以前のように後悔しか残らない、だからこう切り替えた。

 別に痩せなくても、体型がよくならなくてもいいではないか、こうして運動できる身体があるだけで満足しありがたく思おうじゃないかと、毎日のように通う奥武山公園にはいろんな人が来る。健康な人は野球やテニス、お年寄りでもグランドゴルフやペタンクやでいつも盛り上がっている。しかし健康な人ばかりではない、脳梗塞でも起こしたのか足を必死になって引きずりながらのリハビリの人たちも結構いる。そして施設から来た脳障害の若い人たちも散歩に来る。こういう中で自分なりに結構ハードなトレーニングが出来る喜びを最近感じてきた。不自由なく動く自分のカラダをもてるだけでどれだけ幸せなことなのか、からだが硬い、腹がなかなかへこまない、といつもいらだっていたことがこうした環境にいるといつのまにかこの身をいとおしく思えるようになる。自分の意思でこの身を大切にしなくてはと思う。更にこれだけ動けるのだから何かに役に立つことを考えなくてはと思うようになる。どこかの国の偉いさんが言っていた、日本の国には立派な言葉がある、それは「もったいない!」この言葉を世界中の共通語にしようと、確かにそうだもったいない身体が一杯いる。これらを集結してそのエネルギーをあるところへ持っていく、そうすると世界が抱えている多大な問題を解決できることに繋がるのではないか、とかを時たま奥武山を歩いたり、走ったりしたときに考えるのだが、僕の小さな頭ではこう考えるのが...

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