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みそぴー

web shopはじめました。

August 14, 2016

 

 朝は“ウイーン”という、電動コーヒーミルの音で目が覚める。

毎朝妻がコーヒーを入れてくれる。二人で飲みながらNHK朝の連ドラを見るのが日課となった。だいたい2~3杯は飲む。

 コーヒーとの付き合いは長い、中学生のとき勉強机の上に盆をおいて、そこにマキシムのインスタントと魔法瓶にいつもお湯を準備、ちょっとした大人の気分を味わっていた。だからコーヒーばかり飲んで勉強はちっともやらなかった。その後、大学でのひとり暮らしのときもインスタントが続いたが、4年の卒業研究で一緒になった友人が大のコーヒー好きで、毎朝、豆を電動ミルでひいた新鮮なおいしいコーヒーを研究仲間6人に振舞った。研究室はいつもコーヒーの香りが充満していた。

 いつの間にか、 研究テーマ「酸化チタン誘電体と半導体の研究」は「美味しいコーヒーを作るための最適なコーヒー豆の粉砕時間は」というものに変わっていた。

 

 その、豆を挽いたコーヒーのうまさに入ると、もうインスタントは飲めない。早速通販でサイホン式のコーヒーセットを注文した。着いた初日、近くの友人、坂本くんと真喜屋くんを呼び、お披露目会をやった。皆で酒を一杯やった後、そろそろコーヒータイムにしょうかと、セットに入っていた手動のミルで豆をひくと小さい部屋に何ともいえない香りが部屋いっぱいに、皆期待した。取説を見ながらサイホンを組み立てた。そこまではよかった、そこで気がついた。熱源のアルコールランプのアルコールがないのに、3人はろうそくの火をあてられたサイホンを囲み、勢いよく沸騰してコーヒーが抽出される様子を想像することだけをその後数時間続けた・・・

 

 その後社会人になった。学生時代と比べ部屋にいる時間は少ない。手間ひまかかるサイホンは押入れの奥に納まった。その代わりに来たのが、ドリップ。一人用の陶器のドリッパーと専用のケトルを購入、朝の弱い僕の毎日は、起きるとすぐさまコンロに火をいれる。沸騰するまでの間、急いで出勤の準備をする。そして一杯分のコーヒー豆をミルにいれ引くと、電動ではないせいか、香りがひときわ立つ感じがする。しばらくこの香りを楽しんだ後は気を静めて、ケトルをつかみ、蒸らしからはいり、基本の「の」の字を意識してゆっくり回し入れる。よしっ!上出来と、一気に飲む。この一杯で目が覚め、俄然やる気がでる。

朝のひと仕事を終えた昼食後のコーヒーもこれ楽しみ。会社の近...

August 10, 2016

今から40年ほど前ちょっとした教育書ブームがあった。石原慎太郎が「スパルタ教育」という本を出せば、羽仁 進が「放任主義」を出す。という具合に世の中をスパルタか放任かで二分した・・・その中でひっそりたたずむもう一つの教育書があった。当時人気のイラストレーター、真鍋 博の「ひとり旅教育」というもの。僕はこの本に一番感銘を受けた。そして強く思った、将来結婚して子供ができると迷わずこの本を参考にしようと、それから13年後、なんとか結婚できて4人の子供に恵まれた。そしてどうしたか?迷わず「ひとり旅教育」を実践した。旅は人を大きくさせる。ひとりで旅をするとき全て自分の裁量にかかる。出来ないものが見えてくる、それを出来ることに転換しようと思う、その連続で成長していく、人間は結局一人なんだと気づく・・・それが大事、責任が生まれ、主体性が生まれる。自己責任で行動する。

そういうことを思いながら子供が小さい時から言い聞かせ行動させてきた。あれから数年それぞれが自分の身の丈にあった旅をしているようだ、娘はアメリカへ2年ほどの留学をしている。その娘に会いに長男がニューヨークを旅した。三男は専門学校の研修でオーストラリアに行った。次男も宮城、岩手の被災地を訪ねた。更に新婚旅行でヨーロッパを旅した。

三男の潤也がオーストラリアに行く前にアメリカの娘が以下のメッセージを送った。

「オーストラリアでのマナー調べて行きなさいよ!!沖縄を離れたら、あなたはいつでも沖縄の県旗を背負ってます。日本を離れたら、あなたはいつでも日の丸を背負ってます。何か間違った事をしたら「この、じゅんやは。」ではなく「この、日本人はまったく、、。」となるのです。気をつけて!!実りある旅を!!」と

それを受けた三男は現地の感想をこう伝えてきた。

「文化の違い、特色にほとんどのひと(一緒に行った研修生と見られる)はあまり興味がないらしいが、わたしはすごい興味を持っています。今回の研修の目的としていろんな人と交流を持つということから、様々な事が学べます。やはり世界は広い。そう思えた日でした。あと4日間、充実した日々を送ると共に勉学にも励んでいきたい所存ですのでよろしくお願いします。」と

「ひとり旅教育」に学んでよかったとつくづく思った瞬間であった。

 2013.12.17、29

August 10, 2016

アワモリマラソン

                            

 二年前よりアワモリマラソンなるものを始めた。全島46酒造所の代表銘柄全て

飲みほすとFINISHERの称と名前が刻まれた特性グラスを差し上げる。

すでに45名のフィニッシャーと現在チャレンジしている数百名の方々がいる。

始めの目的は、飲み比べて味の違いがわかる、好みの酒を見つける、それを各自で

古酒にする。であった。しかし皆さん飲み続けると味の違いはどうでもよくなる。

ただただ酔いにまかせ放談がはじまる。が、こちらもそれでいいのだ、となる。

どの酒も酔わせる力をもっているから・・・

このアイデアは10数年前にさかのぼる。沖縄への観光客の増加にともない泡盛ファンもうなぎのぼり、それなら全島の酒造所をめぐるスタンプラリーをやれば一石二鳥で

はないかと思いついた。早速関係者に提案したが実現には至らなかった。かねてより

造り手と売り手と飲み手の三位一体の関係が成立してはじめて泡盛の安定した市場が実現できると感じていた。各地に散らばる酒造所を訪ねることで、その酒を生み出した風土を感じ、造り手の顔を見てその誠実さを感じ、それによってそれぞれの酒に深い想い入れがはいる。時間はかかっても着実な泡盛党が増えていく。600年もの泡盛の歴史からみればこのブームの時間ははしたもの、急がずとも確実に琉球文化の最たるものを世界に広めるには、造る側と飲む側との対話から、との思いは今も変わらずもっている。

 

あれから10数年、ある日その思いがふっと頭をよぎり冒頭のアワモリマラソンに

いたった。とりまく環境は変わっても泡盛の力はいや増す。

隣で息子がSNSへ泡盛情報を発信している。あの当時酒造所をめぐっては一軒一軒

の様子をパソコン通信で「泡盛工場見聞録」と題して発信していたことを思い出す。

泡盛同好会40周年おめでとうございます。

August 10, 2016

小桜メニュー物語

今年で小桜も60年になった。最近たまにあの頃のことが思い出される。創業時は割烹という形態だった。だからメニューも和食系、寿司、刺身、天麩羅、〆の鍋焼きうどん等がメイン、今のような沖縄料理はどこにも見当たらなかった。そもそも沖縄料理とか琉球料理とかがあること自体認識されてなかったと思う。

 あの小さな店に板前が二人ほどいた、戦後10年たった頃だから繁華街というものも無く、しかし戦後のインフラ整備のため本土からの大手の土建屋があふれていたので、どこの飲食店も繁盛していた。小桜もいつもお客でごったがえしていた。

 メニューに変化が出てきたのは1972年の復帰以降だと思う。その頃はフミエが店の厨房を仕切っていた。家庭の主婦だったフミエはまず板前の手さばきを観察して勉強し、やがて寿司も独学でにぎり始める、そして刺身のきり方、煮物、天麩羅等を覚える

時代は序序に琉球文化復活の傾向に入り、食べ物も見直されてきた。ヤマト料理に慣らされていたフミエも沖縄料理を覚えなくてはいけなくなった。突き出しに出していたのは、ジーマミー豆腐、これは親戚の大川さんの作るものを出した。チャンプルーは3種これは現在でも同じく、豆腐チャンプルー、ゴーヤーチャンプルー、ソーメンチャンプルー、作り方は今と大きく変わる。ゴーヤーなどは豆腐を握りつぶして入れていたので箸で食べにくかった、ソーメンはアジ塩で、味付けた。刺身はマグロ、赤マチ(ハマダイ)、タコ、シメサバ、シチューマチ、セイイカ、カジキ、えび等があり、寿司用にだし巻きやウニやシャコガイらが小さなネタケースに入っていた。ごはんも炊いていたので魚汁や魚の煮付け、チャンプルーなどは定食にもなった。その後ミミガーの和え物とかスーチカとかが加わる、ミミガーは本来ピーナツバター、酢、砂糖等で味付けするが、小桜でのミミガーは当時から変わらずゴマ醤油のあっさり味だ、たまに宴会のときはいわゆる沖縄風おでん、テビチが出る。豚の中味の炒めやら、牛モツ炒めもあった。

 50周年を迎える2005年から序序にメニューは変わる、というより変えた。

歩留まりの悪い生ものを無くした。いろんなものを試行錯誤しながら作りじっくり試食をしてもらい反応を見た。結果、塩ナンコツソーキができ、牛モツ塩煮込みが生まれ、スルルーの南蛮が出来た。全て生ものとは反対の日持ちがするもの、あの頃の出なくて...

August 10, 2016

 1997年から始めたお客様のポラロイド写真が壁と天井を埋め尽くす。4千枚にはなろうか、張り切れないものもたくさんある。当初酔った顔を撮ったことから酔顔と書き“すいがん”と読んだ、ある日お客さんがこの文字を“よいかお?”と聞いた。成程どの顔を見ても確かに“良い顔”だ、それから「すいがん」は「よいかお」になった。しかしポラロイドの会社がなくなりフイルムも手に入らなくなったことから現在はスマホでの撮影後アルバムに収めている。

一枚一枚見ているとそれぞれのストーリーが思い浮かぶ、ハッピーなものもあればもちろんそうでないものまで、不幸なところでは前日まで店で愉快に楽しく飲んで騒いで翌日仙台に帰ったAさん、仙台空港からの帰途交通事故で死去の報、又初の沖縄旅行できたカップル、それは楽しい旅だった、彼女からの電話、彼が突然死、楽しかった小桜での思い出の一枚がどうしても欲しい、と、すぐさま送る。また夫の不倫写真のとなりに座った本妻、「これなに、」と、夫の言い訳に僕も同調して繕おうとしたが妻はお見通し、「結構です。主人はこういうひとですから」と、うれしいところでは、サプライズのお膳立てでカップルが結婚までいき、更にその後子供を交えての家族写真、そういう小桜の子供たちの写真も増えてきた。また毎年12月の決まった日に来たおじいちゃんとその孫たちの写真はおじいちゃんが100歳近くなるまで続き、その後はおじいちゃんの写真を前にして飲むことになった。

1997年の3月まだ沖映通りにダイエーがあった頃たまたまカメラの特売をしていた。ポラロイドカメラが意外と安く確か5~6千円台だったような、そこで迷わず購入、まさかフイルムが10枚で2000円もかかるとは露知らずに・・・その後は買ってしまった手前何がなんでも(価値)のある買い物だった物にとしないわけにはいかない、そこで考えた。“1997年のお客様の顔”というテーマで一人ずつ丁寧に撮り始めた。更に一枚一枚ラミネートをして柱に手作りの額をつけての展示に少々満足していた。そしてそれは1997年限りと思っていた。それがいつの頃から二人三人、後は十数名でもオッケイということになり現在に至る。

問題のその(価値)について、一枚200円だから4000枚で80万円になる。これはでかい、と思うでしょう。しかしこの数十倍もの(価値)を生み出したのです。それは一枚の写真から輪...

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