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那覇マラソン363日の闘いー那覇マラソン全記録 1

今から11年前の12月2日、那覇マラソンを走った。55歳だった。 その前年に開催された12月3日の日誌にこうある。来年は応援する側からされる側にと決意する。と、その翌日から死闘が始まった。翌日の12月4日には 初日、とぎれないよう頑張ろう、とある。それで2キロ走った。場所は奥武山公園のジョギングコース そもそも何故無謀にも54歳からマラソンのフル、42.195キロを走ろうと思ったか、これにはいくつかの経緯がある、この数年毎年小桜のランナーたちを国際通りで応援していた。その前日から前夜祭と称して多くのランナーが小桜で完走を期して派手に飲む、そして応援旗にそれぞれの決意を書き込み、それを僕ら応援団がその応援旗をかざして応援するということが毎年続いた。 ある日、ランナーの一人が、「大将、応援するより走った方が楽しいよ、」という、冗談を、この年で、ボール競技は器用な面、野球、バスケット、バレー、卓球、テニスなどは得意な方だった、が、、マラソンと聞くともうダメ、小さいときかかった喘息がトラウマで長距離走と聞いただけで発作が起こりそうになる。中学入ってすぐの体育の時間がいきなりマラソンだった。といっても、外周150メートルほどの空き地を何周も走らさられただけだが、いつ発作が出るか気が気ではなく、だましだまし走った記憶が未だに忘れない、さらに高校では校内マラソン大会というのがあった。全校の男女全員走る。男子は10キロだ、恐ろしかった。 その時は、入学してすぐ仲良くなった、オヤドマリ君という、バレー部で背は小さいが恐ろしくバネがあり、ジャンプさせればピカイチだった彼に、伴走をお願いした。人のい

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