中山 孝一

2021年11月30日3 分

現代トイレ考

 我が家のトイレに30数年ぶりに新しい便器がつけられた。と言っても、型は変わらずウオシュレットになっただけ、とはいえ、今やどこでもこれが当たり前のようになって、古臭いトイレを長年使っていたことを今更ながら気付いた次第で、ガラ系をスマホに変えたようなものと例えればいいのだろうか。ちなみになぜ変えたのかというと、急を要したのである。このところ水道代がやたら高くなった。住人は減っていくのに何故だと思いながら原因を調べたらトイレにあった。

 タンク内からちょろちょろ音がするので見たら、給水口から水が漏れ出していたのだ、かなりの年月、水道局に貢献したことになる。


 
 ところで、今の世は「トイレはどこですか、」というが、「便所はどこですか、」とは言わないですよね、昔はトイレというおしゃれな言い方はなく、どこでも便所だった。それもしゃがみこむタイプの便器で、スクワットを思い切り深く落とし込んでのスタイルなのできついのなんのって、便秘の時の苦しみは言葉では言い表せないほど。しかし、そのせいで、足腰が鍛えられたのは間違いないようで、膝の衰えはこの習慣がなくなっとからではとも思える。ある高齢の婦人の子供達が気を利かせてトイレを今風に変えたが、おかげで足腰が弱ってきたので元に戻した、というようなことが新聞の投稿にあった。


 
 さて、このしゃがみこむタイプのトイレでも栓をひねれば水が出て全て流してくれる、いわゆる水栓トイレというものだが、昔はそうではない、その物を流さず溜めるのである。これをポットン便所といった。そして溜まったものが、やがて溢れようとする、その時に業者に回収を依頼する。そんなシステムがあった。

 どうして回収するかというと、ホースを肥溜めに突っ込んでポンプで吸い取る。この専用車をバキュームカーといった。密集した地域が連なる那覇ではこのバキュームカーは大活躍した。どんなに入り組んだ家でもホースを伸ばして吸いまくっていた。


 
 このバキュームカーでの汲み取りは、今思えば革命的とも言えるシステムだった。それまではどうしてたかというと、人の手で汲んでいたのだ、天秤棒に二つの桶を担ぎ家まで行く、そして長い柄杓ですくい取り、いっぱいになった桶を馬車の後ろにある大きな桶に入れる、馬車の荷台の桶がいっぱいになるまで家々を廻るのである。この馬車のことを青馬車といった。馬が引く荷台が鮮やかな緑色に染まっていたからだ

 ちなみに、もう一つ別な馬車があった。それ白馬車という。それは荷台が白色だから、なんとも優雅な名だが、ごみ収集馬車のこと。この二つの馬車をみつけたら誰も寄り付かなかったことは言うまでもない。沖縄のあらゆる道は馬の糞だらけだった。こういう光景が60年前には当たり前のようにあった。


 
 先日、家族で、ある古民家の沖縄そば屋に行ったら、そこにもあった。昔のトイレが、「フール」と云われるものだ、沖縄では豚と人間は切っても切れない関係にある。だからとても豚を大事にする。人間と豚の共有地がこの「フール」というものになる。人間の排泄場所=豚の住処が「フール」になる。人間の消化したものを豚が栄養とする、それをまた人間の栄養とする、というサイクルだ。現存する「フール」はどれも立派な琉球石灰岩で作られ、家は粗末でもこの「フール」だけは頑丈に出来ている。この見事な循環サイクルは、まさに今のSDG’Sにつながるシステムではないだろうか、

 

 しかし、現代人の腸内環境はあまりよろしくないというので、豚はうまく育たないかもしれない


 

 

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