中山 孝一

2020年8月17日3 分

無言館のこと

先日、Eテレの「日曜美術館」で懐かしい顔に出会った。長野県上田市にある美術館「無言館」の館主 窪島誠一郎さんである。妻と二人で共に懐かしがった。相変わらずのお元気な姿がみられた。


 

 窪島さんと初めて会ったのは今から14~5年前、宜野湾にある佐喜眞美術館の美人学芸員の上間さんが小桜にお連れしたのが最初ではとの記憶がある。最初の印象は、頭ボサボサの色黒で日本人離れした体格、声もボソボソで聞きづらく、何よりも笑顔が見られない、この方日本人ではないな。正直にいうとこういう印象しかない、その時は上間さんは窪島さんの素性は明かさなかった。それから何度か見えるようになったが一体何者かはその後もしばらくわからなかった。


 

 ある日、いつもの昼飲みをしている場所に佐喜眞美術館の上間さんがいた。僕が、テレビのニュースで窪島さんがインタビューを受けていたのを見たよ、というと「実はー」と窪島さんのことを初めて話してくれた。そこで初めて、ええー!あの水上勉の息子!となり、そこから急速に窪島さんとの距離を近づけた。その後、僕には「父への手紙」妻には「明大前物語」という窪島誠一郎著の書を署名入りでいただいた。この両書を読み、窪島さんの生い立ち、青春時代を知りますます窪島さんへの親近感がました。僕ら二人ともいつのまにか窪島さんを、本の中と同じく「誠ちゃん」と呼ぶようになった。


 

「無言館」は戦争で亡くなった画学生の遺作だけを展示する美術館。窪島さんの話は聞くたびに今すぐにもそれらの作品を見たい衝動にかられる。どの作品にも強烈なドラマを感じるし、窪島さんの作品に対する思いが伝わる。ある時聞いた、窪島さんは何故こういう美術館を作ろうと思ったのか、どういう方法でこれらの絵を集められたのか、その返答に「無言館への旅(戦没画学生巡礼記)」という本が送られてきた。「一切の返礼は無用です」という窪島さんらしいメッセージつきだった。今回「日曜美術館」を見た後改めてこの書を読み直した。テレビで語られていた想いの全てがこの書に見られた。この書には最後こう綴られていた。「本書がなぜ「無言館」を作ったかという原初の志を私自身に伝えてくれる大切なバイブルであることはまちがいない」と、この書には、重苦しい雰囲気の中での画学生の遺族との対面の様子がありありと伺えるし、窪島さんのどうしてもやらなければとの悲痛な使命感も重々に感じ取れる。


 

 戦時中を生きた画学生の葛藤は戦後生まれた僕には計り知れないものがある。ノーベル文学賞をとったイギリス在の日本人カズオ・イシグロの「浮世の画家」を去年読んだ。内容は多くの尊敬を集める著名な画家が軍国主義の世で、意に反し戦争を鼓舞する絵を描いたために、戦後尊敬が誹りに変わる。その回想から自身の価値観を問う、というものだった。「無言館」の夭折の画家たちもおそらくこの葛藤に苛まれたのではないだろうか、こう考えると「無言館」の作品の訴えるものが更に深く心に突き刺さるように思えてくる。

 ところで、美人の学芸員上間さんがいる宜野湾の「佐喜眞美術館」は「無言館」を手本にしたという話を聞きました。「佐喜眞美術館」は丸木位里・俊作の「沖縄戦の図」の常設展です。この大作の展示のために作られた美術館とも聞いています。戦争は二度とやってはいけない!というメッセージが強烈にして大迫力で伝わってきます。沖縄県民だけでなく日本の全ての人々にこの絵を見てほしいと強く願っております。

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