中山 孝一

2020年9月5日3 分

ぼくと泡盛 10

 「竜宮通りが泡盛村へ」の記事は結構な反響があった。しかし竜宮通りのママさんたちはそれより日々の売り上げが大事、今更泡盛のことを勉強しても、と毎月の勉強会には参加してくれるがなかなか身が入らない様子だった。確かに学校の授業と一緒でお話しを聞くだけでは楽しくもなく、泡盛がどうやってできるのか、その歴史なんてのはイメージが湧くはずがない、お話ししていただいた方々はどの方も業界の第一人者だが、ママさんたちには重たかったかも・・・


 
 そこで、そういった反省を踏まえて実際に泡盛づくりの現場を見てもらおう、ということを考えた。まず、泡盛メーカーで団体見学会を行なっているところを探してみた。

 当時は個人での見学すらもさせてくれるメーカーは少なかった。やはり受け入れてくれるところは無かった。が、諦めようとしたところへ力強い助っ人がいた。醸界飲料新聞の仲村さんだ。この話を聞いてすぐに仲村さんが糸満に工場を新設した比嘉酒造にあたってくれた。観光バスをチャーターしての沖縄初の「泡盛工場見学会」が実現した。


 

 比嘉酒造は主要銘柄の”まさひろ”により現在”まさひろ酒造”と名を変え首里から糸満に移転した。最新式の設備にギャラリーも設け見学者を歓迎していた。ママさんたちには初めての泡盛工場だったがスタッフの丁寧な説明に真剣にうなづいている様子を見て、これからの勉強会に拍車がかかると確信した。

 その後の勉強会は泡盛だけではなく、「琉球の歴史」「栄養学から見た琉球料理」「オリオンビールの話」や、さらに「資産運用の話」等と、まさにかつて云われた「桜坂大学」の様相が・・・

 その後、こうした竜宮通りの活動が度々新聞に載るようになった。

ある日、仕込み中の昼ごろ、久米島の久米仙の社員が訪ねてきた。営業かな、と思ったがそうではなく社長の伝言だという、久米島の久米仙の社長というと島袋周仁さん。その島袋社長の伝言が「竜宮通りのママさんたちを全員、久米島の久米仙の工場に招待したい」とのことだった。経緯を聞くと、島袋社長がたまたま体調不良で入院中、新聞記事を読み「これは面白い!ぜひうちに呼ぼう!」となったそうであった。


 
 早速竜宮通り会の役員会を開いた。ほとんどが一人営業なので店を2日休むことになる。しかし、結果全員が行くことを希望した。面白くなった、「桜坂大学」の修学旅行のはじまりだ。当日の空港でのママさんたちは70歳前後の現役女子大生だった。皆ワクワク感が満載!しかし、目的はあくまでも泡盛の勉強会、島袋社長の期待に添えるようしっかりと学ばなければならない、といっても無理だった。久米島ついてすぐの島内観光に始まり、工場研修はそこそこの後は盛大な歓迎会が待っていたし、おまけに二次会までもセットされていた。普段日々の接客の鬱憤を爆発させた感があった。至れり尽くせりの充実した1泊2日の修学旅行はあっという間に終わった。


 
 観光バスをチャーターしての泡盛見学会が飛行機のチャーターになった。

その後、竜宮通りの空気が変わるのが感じられた。ややもすればいがみ合いの飲み屋街の雰囲気が連帯の雰囲気になった。このまま進めば沖縄の文化のいい発信地になれる。と確信した。が、それからは年々、寄る年波には勝てぬといって一軒一軒店を閉じ出した。あれから20数年、まわりの風景も随分変わった。泡盛を囲む環境も変わりつつある。600年の伝統はこれからどこに・・・

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