中山 孝一

2018年10月18日3 分

昔は良かったのにね〜

 「昔は良かったのにね~」、これが竜宮通りのママさんたちの会話だった。昔というのは那覇の街が復興し始め、桜坂とか竜宮通りとかの飲屋街が立ち始めた戦後10年経った頃だから今から60数年前のこと、その頃、いろいろ訳ありの女性たちの手っ取り早い仕事といえば飲み屋稼業、経験はなくても女は度胸でやりこなす、何せ競争がないから、店を出せば客は来る来る。

 店員の確保にも、離島から中卒の女の子をバンバン入れた。今では大問題になる違法行為をやっても取り締まられない、そしてヤクザもはびこる。飲み屋街での縄張り争いが起こる。戦後の動乱というやつだ、そういう時代を知っている女性たちは、悲しいかなその時代しか知らない。世が新しい時代をむかえていてもわからない。いつまでもいい景気は続くと信じて疑わない。

 其処で「昔はよかったのにね~」という挨拶が通り一帯はびこるようになる。客が週に何人か来ない店もざらになった。「どうして今日は客いないの、」と聞けば「ああ、今日は天気がわるいからねー」、「どうして今日は客いないの、」「ああ、今日は天気がいいから、みんなどっか遊びにいってるさ~」、「どうして今日は客いないの、」「もうじき選挙があるから、みんな忙しいんじゃないの、」 しまいには、「昨日は忙しかったけどね~」 となる。これが毎日の店の様子。

 時代に取り残されるというのは、経営者のせいだけではない、制度にも取り残されることにもなる。まちづくりに翻弄される。行政の開発の犠牲になる。女性一人が必死に、やっとの思いで立ち上げた城が無残にも崩されることはいくつも出くわした。桜坂が開発された前島に、そして松山に、久茂地に、と繁華街の転戦は続いた。しかし新天地に移っても一からのスタートは厳しい、軌道にのるまで時間がかかる。そのうち歳もとる。事情があっての飲み屋稼業、仮に20年、30年続いても子供に継がそうとは考えないし、子供も継ごうとは思わない。あえなく看板が降ろされる。しょうがないことかもしれない。

 が、これでいいのかこれからの社会、とも考えてしまう。振り返ると昭和30年代頃からの高度成長時代から急速に進んだ経済中心の世の中、日本中が開発され、昔のすがたが消されていくにつれ、いつのまにか国民もそれを期待していく人間に変わっていった。地元の古臭い商店街をなくそう、スマートなショッピングモールを作ろう、とか老朽化した公共施設、歴史を感じる古い民間の建築物の破壊もなんの疑問も持たずなされていった。そして地方がどんどん都会になった。

 都会が経済優先で開発が数年サイクルで進むように、地方もそれに習い変わっていく、だから田舎から都会に出て、久しぶりに帰郷した時、その変わりように愕然とする。都会では見慣れた開発の余波が自分の足元まで広がっていることを初めてわかる。なんとも言えない気持ちになる。

 「昔は良かったのにね~」という言葉がついつい出て来る。この良かった、には、昔はもっと儲かったのにね~ではなく、みんな貧しくても人と人の繋がりがあって、未来に希望を持って、明るく生きていたのにね~という意味にもとれる。足元の限りない開発の現状を見て、何か心がぽっかり空いていく気がするのは僕だけだろうか

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