中山 孝一

2016年9月14日3 分

この街

最終更新: 2020年5月7日

この街に来てやがて57年たった、わけもわからず沖縄と尼崎との行ったり来たりの日々は5歳のとき、何回かその行き来を終え、落ち着いた先がこの小桜だった、生活の場はカウンター奥にある3畳ほどの小上がり、本来ならお客用に使っていたものをとりあえずとどのぐらい住んだのか忘れた、板場が二人か、女給が何人かがいて毎日忙しくしていた、あの時はまだ戦後の復興途中のインフラ整備のため内地から多くの土木作業員とか地元の公務員が多く、最初はぽつぽつだった飲食店も、飲食街に、奥の、(今では桜坂という名で通っているが当時はまだ名はない、)通りもバーやキャバレー、サロン等がぼちぼち生まれだしいつのまにか沖縄最大の繁華街になった、5歳の僕は夕方店の準備に追われてる従業員をじーっと見ながら友達もいないのでいつも暇を持て余していた、たまに板場がキャッチボールの相手してくれたりしていた、今でも忘れない衝撃的なものを見た、店の向いは沖縄で一番大きな洋画館のグランドオリオン、大きな壁が立ちはだかっていた。その裏口だから映画が終わればがばーっと人が流れ出す、その壁に一番上の階まで続く長い階段があって、僕等は怖くてその階段には登れない、何故か、そこは外人の行き来する場所、慣れない外人は怖いものだった、ある日映画の切れ間だろうか3~4人の外人が一番上の踊り場から電柱の上に立ち何やらコインらしきものを下に投げつけている、それを下にいる数人の子供たちが取り合いをしている。外人が次はこれと言って大きく手を振り上げると下の子供たちが歓声を上げる。落とすたびに金額が違うのである、額が大きいと歓声が上がる。僕はこの一部始終を店のドアに隠れながら見ていた。

 どうしてこの光景が57年たった今でも鮮明に覚えているのだろうか、この光景が僕にもたらしたものは何だろうか、おそらくそれは、人に対しての関係性を慎重に立ち向かう性格になった初めかもしれない、この街に育ち、いろんなものが生まれるところから消えていくものまで見続けて、結局それは時代の流れに翻弄されている人間が大勢いて、人間の変化がもたらした社会になったものが現在続いている。

 若いときは焦る。これでいいかと自答する。今世の中についていかないと遅れてしまう、と、そして空回りの動きをする。焦るから、其処で思う、焦って何をしようとしてるんだと、そう思ったとき開き直る、元々自分には何にも才能なんてないのだからと、これが原点、そう思うと周りのものがすべて素晴らしきものに見えてくる。近づきたくなる。そこから努力が始まる。何だかそれた、

 この街の足元からの発掘は面白いものかもしれない、人間は常によくなりたいと思っているが、どう良くなりたいかは余り考えない、そんな時小さいときに育った街を再発掘しての自分探しもいいのではないか

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